新山古墳の桜と紅葉。
新山古墳(武烈天皇 大塚陵墓参考地)の特徴
隣接する緑地では、桜や紅葉を楽しむことができる環境です。
126mの墳丘長を誇る前方後方墳で、貴重な史跡です。
柳井茶臼山古墳の大鏡に関する歴史的な魅力があります。
2025年8月10日に散策しました。馬見丘陵南東端を活用して築造された馬見古墳群最古(4世紀前半)とされる前方後方墳です。全長126m、前方部幅66m、後方部墳頂10m、埴輪有り、周濠無し(周りの池は、おそらく高田川の蛇行による残存三日月湖か、後の造成池)、竪穴式石室から組合式石棺が発見されています。出土品は、34面の銅鏡、車輪石、石釧、中国晋代と考えられる帯金具(三葉文の透し彫り)、玉類などです。銅鏡の種類は、三角縁神獣鏡、小形内行花文鏡、方格規矩鏡、画文帯神獣鏡、直弧文鏡(国産のオリジナルデザイン)などです。明治18年1885年に盗掘というか発掘されました。蒲生君平は、「山陵志」で第25代武烈天皇陵墓ではないかとしています。古墳の造られた年代と武烈天皇の在位期間に大きな開きがあることや「日本書紀」に書かれている暴虐非道な記述が「古事記」には書かれていないところをみると、実在しなかった天皇かと思われます。円天方地の王位継承儀式からしても、天皇であれば、前方後円墳であってしかるべきと思うのですが、なぜ、前方後方墳なのか疑問です。被葬者は、葛城国造(かつらぎのくにのみやつこ)ではないかと考える方もおられるとうかがいました。
森林と化している古墳です。恐らく陵墓として宮内庁に管理されている古墳の中で唯一の前方後方墳ですが、現状はただの森です。しかし明治時代 宮内庁に治定される前に発掘されているそうで、銅鏡が34枚(内9枚が三角縁神獣鏡)出土しています。また4世紀前半の築造と推定されています。宮内庁により武烈天皇の陵墓参考地として治定されていますが、先述した通りの築造年代なので少し乖離があるように思います。
新山古墳(しんやまこふん)。広陵町の大塚にある前方後方墳で、周囲に濠(ほり)を巡らせていたらしく、現在も溜池に拡張利用され、わずかに東と北に当初の面影が残っている。
宮内庁管理のため近寄れず全体が見えません。
隣には緑地が有り、桜や紅葉が楽しめます。
4世紀中頃の築造。馬見古墳群の中で最初に築造されたと考えられている墳丘長126メートルの前方後方墳です。明治時代に後方部中央の竪穴式石室から、歴史的価値のある石製品に多種の鏡が出土したようです。宮内庁により、第25代武烈天皇の陵墓参考地と治定されており、古墳内には立入禁止です。古墳北側に案内板があり、古墳のフェンスに、より詳細な情報が記された新聞記事をパウチして貼り付けてありました。古墳を拝見できる箇所が少なすぎますので口コミの評価は低くしてしまいました。 追記 武烈天皇、御陵の候補地が多すぎなんやないかと。どちらの古墳に埋葬されているのでしょうか…
柳井茶臼山古墳出土の「大鏡」の作者が最初に作ったといわれる「鏡」が出土してます!
毎年、キレイに咲いています。
墳丘長126mの前方後方墳、築造時期は4世紀前半と推定。馬見古墳群を構成する古墳のひとつ。高田川の西岸に隣接し、前方部を北側に向けている。副葬品として直弧文鏡、金銅製帯金具などが出土されている。金銅製帯金は中国晋代の帯金具に似ている例があるとのこと。
| 名前 |
新山古墳(武烈天皇 大塚陵墓参考地) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
2.9 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
宮内庁の管理なので、大切なご陵と感じました。