美しき枝垂れ桜、兎川寺で堪能。
兎川寺(恵日高照山兎川霊瑞寺)の特徴
松本市の里山辺に位置し、枝垂れ桜が見どころの寺院です。
聖徳太子の創建で、松本三十三番札所の名刹として知られています。
車でお祓いも可能な格式あるお寺で、静寂な雰囲気を楽しめます。
2025年4月16日に訪れました。入山辺循環バスで里入辺出張所バス停で下車すぐの所へ。境内に失礼し、見頃の桜を愛でながら、本堂でお参り。拝所には一文字写経?だったかな…に石に書き、成就するよう願う。石川数正公夫妻の墓石に手を合わせ、庫裏で御朱印を拝受。感謝申し上げるのでありました〜
一文字納経が珍しかったので納経させて頂きました。冥加料100円。
旧山辺学校校舎の道を挟んで真向かいにあるお寺。石川数正公の墓所があります。
(旧松本市史 下巻)真言宗智積院末 慧日高照 兎川霊瑞寺 本尊千手観世音 里山辺村兎川寺由緒 始めは天台真言両宗の別院なり、故に天台12坊真言12坊の塔頭あり。元弘中北條高時横暴にして帝都穏かならず。本山防衛のため天台の12坊は叡山に帰り、真言の12坊輪番に寺務を執りたりと。塔中福寿、高照、大鏡、真性の4院は久しく存在せるも、大善坊、東養坊、実相坊、清湛坊、玉泉坊、川光坊、及願坊、法光寺の8宇は古く廃滅せり。小笠原氏は林の館に居り、当寺を祈願所と定めれ、爾来松本の城主は深く帰依せらる。当寺は薄宮と特別の関係ありたる者の如く、したがって往時は同宮の神宮寺たりとの説あり。
里山辺の代表的な寺院。真言宗。石川数正の墓所があります。
兎川寺の境内に有るライトアップされた枝垂れ桜も松本市では有名です。(★★★★☆)例年になく今年は開花が早く日中に行ってみたのですが、老木なせいか年々枝が折れたり枯れて今年(令和5年)は、以前と比べボリューム感や形があまり良いとは言えない状況でした。(★★★★☆)
桜の穴場です。入学前に写真が撮りたくてこちらにきました。貸切状態で撮りまくってしまい、参拝の方には笑われてしまいました。
9/14/2023飛鳥時代、聖徳太子の創建になるという名刹(めいさつ)。明治4年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)令で廃寺となったが、明治17年に檀信徒が本堂などを買い戻し、再興した。中世には天台・真言24坊からなる大寺院で、明治初期の段階でも、薄川の金華橋付近まで寺域が広がっていたという。現在の本堂は、火災後の1820年に諏訪の宮大工、藤森広八が建立したもの。大屋根の棟瓦(のきがわら)には火除(ひよけ)のために中国の伝説の神獣「贔屓(ひき)/中国語ピン音で、ビシ」が飾られている。現在の松本城を作った石川数正夫妻の供養塔があり、最近NHKの大河ドラマで紹介された。
いつも 車で通りすぎるだけでしたが 本日タイミング良く しだれ桜 楽しみましたとても可憐な花初めて間近で見て堪能しました。
| 名前 |
兎川寺(恵日高照山兎川霊瑞寺) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0263-32-5310 |
| HP |
https://visitmatsumoto.com/spot/%E5%85%8E%E5%B7%9D%E5%AF%BA/ |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
奈良井川に合流する薄川、女鳥羽川に合流する湯川などによって扇状地になっている松本市東部は、2026年から数えて約1400年前には人が住んでいたと伝えられる場所。松本市の市街地から東部へ向かうアザレアラインの途中、兎川寺(とせんじ)交差点の近くに、地元の人々の信仰に支えられ、長い歴史を歩んできたお寺があります。「兎川寺(とせんじ)」、正確には「恵日高照山 兎川霊瑞寺(けいじつこうしょうさん とせんれいずいじ)」と呼ばれるこちらのお寺は、真言宗智山派(しんごんしゅう ちさんは)の寺院。江戸時代中頃の延享四年(西暦1747年)に成立した松本三十三番観音霊場の第三十三番札所、元禄十六年(西暦1703年)に成立した信濃三十四番観音霊場の第三番札所(松本地域を中心とする札所で三番目)であり、信濃七福神の寿老人の札所にもなっています。創建された年代は不明ですが、近年では主に厩戸王(うまやどおう 574~622)と呼ばれている聖徳太子(しょうとくたいし)の創建と伝えられていて、西暦で592年から710年まで続いた飛鳥時代の前期から中期ということになるようです。現在は真言宗のお寺ですが、鎌倉時代後期までは天台宗と高野山真言宗の2つの宗派が存在する寺院だったと伝えられ、室町時代には、ここから南にあった林大城と林小城を拠点とした府中小笠原家の祈願所の一つにもなっていました。戦国時代は甲斐武田軍の松本盆地侵攻などの戦禍に巻き込まれたものの、歴代藩主や地元の人々によって厚く信仰され、江戸時代末まで続きました。しかし、明治3年から明治4年にかけて続いた廃仏毀釈運動の中、廃仏毀釈令によって廃寺にされます。その後、本堂などの建物は山辺学校(※)の校舎の一つとして使われたものの、 兎川寺の檀家や信徒たちによって再興され、現在に至っています。兎川寺といえば、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」で、1590(天正十八年)から1592年(文禄元年)までの松本藩主である石川数正夫妻の墓所が紹介されたことで話題になりましたが、現在は松本城天守閣の東側に植えられ、松本城伝説の一つとなっている「小笠原牡丹」にもゆかりのあるお寺です。天文十九年、西暦で1550年。戦国大名として有名な甲斐武田家が松本盆地へ侵攻し、信濃国の守護大名である府中小笠原家が本拠地とした林城は落城。第17代当主である小笠原長時(おがさわら ながとき)は領地を失って落ち延びていきました。小笠原牡丹は、戦いに敗れて落ち延びる途中の長時が兎川寺へ託した"殿様の白牡丹"で、府中小笠原家にゆかりのある純白の牡丹は、兎川寺の檀家であった久根下(くねした)家によって昭和の時代まで守り伝えられてきたという逸話が伝えられています。(松本城管理事務所『国宝 松本城』の「小笠原ぼたん」より 2026年2月閲覧)筆者にとっては、父方の祖父の法事をきっかけに、1990年代後半から2000年代初めまで足を運んだ場所。現在どうなっているかは不明だけど、本堂の右手にある庫裏(くり)の廊下に南太平洋の戦跡の写真が掲示されていたことなどが印象に残っています。祖母と一緒に、毎年大晦日から元日の夜に行われる二年参り(前の年と次の年の二年という意味)へ連れて行ってもらったことも何度かあり、年が明けた後、本堂で住職さんのありがたいお話も聞くことができます。地元の人々によって大切に守り継がれているお寺、ぜひ訪ねていただきたいです。※南にあった山辺学校のこと。兎川寺交差点の南には旧開智学校校舎と同じ擬洋風建築の旧山辺学校校舎(山辺学校歴史民俗資料館)があり、長野県の県宝に指定されている。