竹中氏陣屋跡の歴史を感じる。
竹中氏陣屋跡 櫓門の特徴
竹中氏の陣屋跡は、残る櫓門が特徴的です。
幸運にも歴史的な石垣や水堀があります。
周囲の景色と桜が美しい静寂なスポットです。
石垣が一部崩れていました。修復整備されていないようでした。
陣屋跡からは菩提山城がよく見えていました。山城では領地運営が不便な為、麓にこの陣屋が築かれたそうです。櫓門には長い年月を感じさせる梁や柱が見れます。
江戸時代の陣屋で羽柴秀吉の軍師として名高い竹中重治(半兵衛)公のご子息重門公が築かれたものです。徒歩1分のところに観光駐車場があります。敷地を囲む堀や石垣があるので、一般的にイメージする陣屋より、お城の門といった感じでした。白壁の櫓門、水堀の一部分、石垣の一部分が残っており、入口付近には郷土の英雄、やや渋みのきいた「竹中重治公」の銅像があり、門を守護しておられました。
竹中氏陣屋跡櫓門竹中氏陣屋(たけなかしじんや)は、垂井町岩手にある竹中家の先祖伝来の地です。竹中氏陣屋を築城したのは1588年ですので、竹中半兵衛が亡くなったあと、家督を継いだ子の竹中重門(たけなかしげかど)が築いたと言う事になります。戦国時代には「岩手城」と呼ばれ、背後の「菩提山城」が詰めの城と言う事になりましたが、竹中半兵衛までは菩提山城を居城としていました。『竹中氏陣屋櫓門』の石垣上から「菩提山城跡」を遠景ですが眺めることができます。関ヶ原合戦の主戦場は、この岩手城主「竹中重門」の所領であったことから、徳川家康は1000石を見舞料として支給し、戦場の処理を託しています。こうして、竹中重門の所領6000石は安堵されましたが、江戸幕府が開かれると旗本とみなされています。そのため、菩提山城は廃城となり、岩手城の名称も『竹中氏陣屋』竹中陣屋、岩手陣屋と呼ばれるようになりました。東向正面側には石垣が続き、陣屋というイメージよりも「平城」の雰囲気があります。その中心に『竹中氏陣屋跡櫓門』があります。石垣を用いた水堀があり、石垣で組んだ上に白漆喰の『竹中氏陣屋跡櫓門』もなかなか立派です。両脇に小さな櫓もあったかもしれません。この『竹中氏陣屋櫓門』は、地元民の計らいで、岩手小学校の前身『菁莪義校』の門として残され明治維新で出来た「明治新政府」の「幕府建造物破壊令」(破却)を免れています。この門奥(西側)に、1630坪の陣屋がありました。
県道53号線を池田町方面に走ってたら気になる看板があったので方向を変えて寄り道してみた。単なる陣屋跡なら寄らなかったかもしれないが、竹中半兵衛とならば!と思い来てみたところ、想像以上に原型を留めていて驚いた。特に石垣が綺麗に残っていた。堀があり水路もあるので防御機能がしっかりしていて感心。珍しいのが櫓門をくぐると学校があるというところ。現地看板でも珍しいと書かれていたが、本当にそのとおりだと思う。門の前には竹中半兵衛の像もあって、きっと歴史ファンはこっちが目当てかもしれないね。石垣は階段もあり上ることができます。周囲を見渡すこともできて壮観。柵とかないので落下には注意。門の脇には神社もありました。この狭い範囲で見所はいろいろあります。駐車場はすぐ斜め向かいに広い青空駐車場があるので助かる。訪れたのは秋の三連休の晴れた日という絶好の観光日和だったが、訪れたのは我々含めて2組しかいなかった。時間の問題なのか、アクセスの問題なのかは分からなかったが、見る価値がある場所には間違いないよ。
陣屋自体は残されていませんが櫓門と石垣、水堀、土塁の一部が残されています。
テレビでも登場する、竹中半兵衛の子孫が江戸時代に治めた所。交代寄合ですが、石垣を用いた門は最高です。この門の先には小学校がありますが学生はこの門から登校します。この陣屋の背後には戦国時代の山城がそびえています。
陣屋は岩手城と呼ばれていました。菩提山城(岩手山城)の麓に新たに築城したとのこと。時代が落ち着いてきたのかな。1588年、秀吉刀狩りの年に築城された岩手城の門。築城時の門がそのまま残された希少なものだそうです。石垣は小牧山城と同様に厚みがある。なのに何故か木の門は薄い?
中は学校なので、奥へは入れません。午後に行ったのですが、静かで心地よかったです。祝日だったため、資料館?みたいなところは休館日でした。
| 名前 |
竹中氏陣屋跡 櫓門 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
https://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/17768/siseki/takenakasi.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
14日放送の大河ドラマ「豊臣兄弟」で菅田将暉さん演じる、竹中半兵衛が劇中で亡くなる前に、間に合いました。