明星輪寺で祈る歴史のひととき。
泉明院(明星輪寺)の特徴
伝教大師・最澄が本尊の像を自作したお寺です。
阿加保之山に位置する歴史ある観光名所です。
薬師如来を祀る神聖な場所であります。
かつては賑わった「西薬師さん」2025年5月上旬、柏原宿探訪の際に参拝しました。きっかけは、中山道にあった道しるべ→Google Mapsにあったあったこともあり道中、柵あり、舗装なく辿り着くか焦りました。いざ着くと今まで見たことのない感じ本堂、山門など建造物はありますが、寂れた感じでした。境内にある明星霊水の説明板には————————————————————-明星霊水「西薬師さん」に親しまれている泉明院(明星輪寺)は、伝教大師最澄により、弘仁6年(815)に開基されました。大師自らご本尊・薬師如来像を刻まれた時、この池の中から星が出現し、夜でも昼間のように明るくなったそうです。池の水はたいへん霊験あらたかで、とくに眼病に効くと伝えられています。地元・柏原はもとより、遠方からもご利益を得ようと大勢の人々がお参りされてきました。旧中山道のあちこちに、江戸時代に立てられた「やくしの道」の道しるべが残っていることからも、その評判の高さがうかがわれます。———————————————————とありお寺自体の説明板には———————————————————◆山号 明星山◆宗派天台宗◆本尊 薬師如来像伝教大師が比叡山開山後、布教に出かけた際、この地に金色に輝く光がさしたと言われています。当初は大殿、宝塔、鐘楼、僧堂等が整っていました。応仁文明年間(一四六七~八九)兵火によって仏閣・僧堂・十二神将等を焼失しましたが、最澄自ら刻まれた本尊の薬師如来は幾多の兵火にも焼かれず、毅然として立たれていたと伝わっています。その後、天文二一年(一五五二)に多賀豊後守貞隆が大いに修造を加えたと言われます。貞享三年(一六八六)僧や里人が協力して堂塔を改修、元禄三年(一六九〇)に竣工し、天台座主堯延親王が明星輪寺の額を寄進されました。浅井亮政の娘くりが海北友松に描かせて寄進した絵馬五面があります。◆古面(鬼神面)市指定文化財◆木造毘沙門天立像◆十二神将立像———————————————————-とあり大変古い歴史を持つお寺ですがかつては多くの建造物があったのが栄枯盛衰を実感しました。
| 名前 |
泉明院(明星輪寺) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0749-53-5140 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
❶【参考 近江国坂田郡志 第5巻 改訂 1971年】明星輪寺(みょうじょうりんじ)(書による)弘仁6年(815年) 伝教大師_最澄(さいちょう)が東国への巡錫(じゅんしゃく)の時に、成菩提院(じょうぼだい院)の寺地に留錫(りゅうしゃく)し道俗の為に説法したときに、ある夜に奇異(きい)を感じて、此処に至り、薬師如来の像を自作し、これを本尊として、宝塔、本殿などを建設し、「阿加保之山 明星輪寺」と名付けた、という。浅井長政の祖父である浅井亮政(すけまさ)の女、くり女が、海北友松(かいほう ゆうしょう)に書かせて寄進した絵馬5面が残っている、とある。寺伝には、淀君(よどぎみ)奉納の額3面と記してあるが、これは現存していない、とある[本尊御開帳]むかしより、33年毎に開帳の例あり、とある。[明星水]境内に ふる池 あり。いにしへ明星の下りし事ありとて、里人称して、明星水と名付け、明星薬師とも称する、とある。[沿革]・弘仁6年(815年) 最澄により創建される。・応仁年間(1467年~477年) 兵火により諸堂焼失する。里人が1庵をこの地に建てた、という。・永正11年(1514年)僧_円賢が寺坊を修理して居住した、という。・天文21年(1552年)4月「多賀_豊後守_貞隆」堂宇を修繕する、が後に荒頽(こうたい)した。・貞享3年当時の住僧、里人と協力して堂宇の再建を計画し、元禄3年8月に至り竣工(しゅんこう)する。この時に「天台座2品堯延新王」の御筆による「明星輪寺」の額を賜った、とある。・延享3年8月、門の修理をする。・文政5年11月、堂宇を改修する。[鎮座地] 柏原村大字柏原[号] 明星山泉明院[宗教] 天台宗 成菩提院 末。