武田信玄ゆかりの馬頭観音堂。
天久沢馬頭観音の特徴
戦国時代の歴史が息づく場所、天久沢馬頭観音の魅力。
武田信玄の愛馬、天久を祀る特別な観音堂が見どころ。
牛伏山や一郷山城の歴史背景を感じることができます。
戦国時代、上州へ侵攻した武田信玄は、牛伏山の一郷山城を攻めるため、天神原という場所に陣を敷きました。このとき、愛馬であった天久を失ったため、馬頭観音堂を建てて供養したといいます。これは美談ですが、そうでない逸話も残っているそうです。信玄は軍勢の兵糧として、近くの延徳寺というお寺に米を差し出すよう命じました。ところが住職が、これを断ったため、怒った信玄は寺を焼き討ちにし、米俵を強奪しました。それより延徳寺は再建されることもなく、現在に至っています。武将の人気ランキングでは、必ず上位に入る信玄や謙信も、上州侵攻に当たっては、相手に打撃を与えるため、せっかく農民達が育てた稲を、実るまえに刈り取ったり、嫌がらせのために村の家々を焼き払ったり…酷い仕打ちをしたようです。戦国時代!と言ってしまえば、それまでですが…(^_^;)
馬頭観音堂はぜひ見て下さい。
武田信玄の愛馬、天久(あまく)の冥福を祈り建てられた観音堂とのこと。隣接した公園もその名前がはいっている。どの様な馬だったのか知りたくなった💖🐎💖
名前 |
天久沢馬頭観音 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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公園内にありますが、公園自体も放置状態なので、寂れていました。