歴史と信仰が息づく北桑名総社へ。
北桑名総社北桑名神社の特徴
参拝後に御朱印をいただける場所がありました。
小さな雰囲気が心地よく落ち着ける神社です。
天武天皇や持統天皇ゆかりの神社で歴史を感じます。
2025年8月に参拝。住宅街にある神社。ご祭神は天照大神、素戔嗚尊、天児屋根尊(あめのこやねのみこと)。
地域の神社が合祀され2024年2月中旬に参拝しました。調べると太平洋戦争の空襲で焼失し、本殿は1969年、総門は2012年の再建境内は綺麗に整備されており、地域の氏子さんたちがしっかり管理されている感じがしました。
天武天皇ゆかりの地として参拝しました主祭神は10柱と多いです《主》天照大御神、建速須佐之男命,鵜葺草葺不合命,泣沢女神,天児屋根命,持統天皇,応神天皇,宇迦之御魂神,火産霊神,高水上命壬申の乱の際大海人皇子(のちの天武天皇)の后(のちの持統天皇)が滞在されたと伝えられている「佐乃富神社・中臣神社」が合祀されています「佐乃富神社・中臣神社」は元は桑名市の宝殿町にありました。
とある神社の本で調べて行きました。持統天皇が祭られているということが本に書いてありました。住宅街にあり、駐車場はありません。日曜日の夕方に行きましたが、人は誰もおらずに落ちついて参拝ができます。とても雰囲気がよい神社です。また機会があったら再訪します。
8月に行われる石取祭の試楽で、8組(5町)が正装で参拝する。石取車を鳥居の前に停め、そこで太鼓と鉦をリズムに合わせて打ち鳴らす。5町それぞれの個性があり、楽しめる。それぞれが正装って事で粋で華がある感じもまたいい。
この神社は、壬申の乱の時(天武天皇元年(西暦672年)、崩御した天智天皇の弟・大海人皇子(後の天武天皇)が兵を挙げて勃発した際、この地を拠点とした。その時妻である菟野皇女(うののひめこ、後の持統天皇)をこの地に残して戦場に向かった。そんな縁がある神社です。明治四十一年十月二七日、延喜式内社佐乃富神社、延喜式内社中臣神社、持統天皇社、船魂神社を合祀し、北桑名総社北桑名神社と改称しています。
江戸時代始めから現在地にあった三崎神明社とも、今一色神明社ともいわれた今一色の産土神。太一丸にあった太一丸神明社、宝殿町にあった佐乃富神社を合祀し、北桑名総社北桑名神社と改称したとのこと。先の大戦で焼失したが、戦後に本殿、拝殿等逐次再建されているとのこと。三崎神明社についても説明がされており、桑名の地は自凝洲崎、加良洲崎、泡洲崎の3つの洲にわかれていたことから社が奉納され、三崎大神明などとよばれていたようです。
いつもお世話になりありがとうございます。
桑名駅から徒歩数分。持統天皇御舊跡。壬申の乱の時、天武天皇が持統天皇ら一族をを引き連れて駐屯した桑名は戦争の背後基地で、多数の武器や宝物が置かれていたとか。天武は持統天皇らを桑名へ置いて、戦場となる不破(関ヶ原)へ挙兵したそうで、ゆかりのある北桑名神社に行ってみました。早朝は静かで参拝にはとても良かったです。駐車場はなかった様に見えました。歩きがベストかもしれません。
| 名前 |
北桑名総社北桑名神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0594-23-4362 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63146 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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江戸時代初期より当地に鎮座し、北桑名地域の総鎮守として信仰される明治41年(1908年)の神社合祀政策により再編、周辺の複数神社を合祀し、「北桑名総社」として成立。合祀された主な神社•三崎神明社•佐乃富神社•中臣神社•五霊神社、その他周辺の小社も統合ご祭神•天照大御神(あまてらすおおみかみ)•建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)•豊受大神(とようけのおおかみ)•天児屋根命(あめのこやねのみこと)•大山祇命(おおやまづみのみこと)また境内に「持統天皇御笠跡」碑が所在、持統天皇がこの地に立ち寄ったとする伝承に基づき、古くから交通の要衝であった桑名の歴史を示します。