歴史好き必見!
本能寺の特徴
歴史的な舞台、本能寺で織田信長と明智光秀の物語を体感できる場所です。
法華宗の大本山として、日蓮大聖人の教えを継承する重要な仏教寺院です。
無料で拝観でき、織田信長の御廟所や資料館も併設されている意義深いスポットです。
2026年7月平日朝、初訪問。OMO5京都三条 by 星野リゾートに滞在中、宿泊者限定のホテルアクティビティに参加しました。毎朝6時から始まる朝のおつとめに無料で参加できる貴重な機会。お経、拍子木?、太鼓の音に蝉の鳴き声が調和して絶妙なハーモニーを奏でていたのが印象的でした。
京都市中心部にある本能寺は、「本能寺の変」の舞台として知られる歴史ファン必見の名所です。現在の境内は豊臣秀吉によって移転・再建されたもので、街中の喧騒とは反対に静かな雰囲気の中に深い歴史を感じられます。信長公廟や大寶殿宝物館では、織田信長ゆかりの資料や文化財を見学でき、歴史への理解がより深まります。地下鉄「京都市役所前」駅からすぐとアクセスも良好で、京都観光の合間にも立ち寄りやすいスポットです。
滞在先の近くの商店街をふらふら散策してるとよく知ってるお寺のお名前が目にはいる。あの「本能寺」だ!京都にあることさえ知らなかった(勉強不足💦)本能寺の変には、教科書で学んだ歴史とは異なる陰謀論的なストーリーもありますが、どんな事実であれ、日本の歴史が大きく動いたターニングポイントであることは間違いないででょう。そんなことをふと考えさせられた本能寺との遭遇でした。現在の本能寺の場所が知れて良かった。
「本能寺」の北側に以前あった「本能寺文化会館」が解体されて、コインパーキングとなっており御池通から遮るものがなく境内が見える開けた状態になっている。御池通は、交通量が多く騒々しいですが、御池門から少し奥まった境内に入れば静かなものです。【本能寺(ほんのうじ)について】・応永22年(1415年)に小袖屋宗句の寄進により、「本応寺(現・本能寺)を建立したが、妙本寺の月明により寺を破却されたため、河内に逃れたあと尼崎へ移り「本興寺」を建立しました。・永享元年(1429年)に京都に戻り小袖屋宗句の支援を受けて内野に「本応寺」を再建しました。・永享5年(1433年)に如意王丸という人物から四条坊門の土地を寄進されて寺を再建、寺号も「本能寺」と改めました。室町時代になると法華宗は、足利幕府の保護により繁栄して、本能寺も「洛中法華21ヵ寺」のひとつとなり隆盛しました。◇「本能寺の変」で有名な「本能寺」ですが、事変があった当時は、四条西洞院付近に伽藍があり、七堂伽藍や30余りの子院を擁する壮大な寺観を整えていました。織田信長は、上洛時の常宿として御所にも近い二条衣棚の「妙覚寺」を利用していましたが、本能寺の変の際、嫡男の織田信忠が「妙覚寺」に宿をとっていたので、堀や土塁に囲まれた30余りの子院に囲まれた城郭のような「本能寺」が警備の面でも有利だったため利用した様です。さすがに150〜160人ほどのお供では、明智軍約1万3,000人にかなわず織田信長が亡くなった場所になる。「本能寺の変」後、七堂伽藍や30余りの子院は、灰燼に帰しました。その後、その後、天正17年(1589年)に豊臣秀吉の都市計画により、第14世 「日衍聖人」現在地である寺町御池に「本能寺」が再建されました。江戸時代中期の「天明の大火」により焼失して再建されましたが、幕末の「禁門の変」で焼失しました。明治の廃仏毀釈などの影響もあり本堂の再建は遅れ、寺地も御池通の拡幅整備で削られるなどしたが、当寺の学問所である大亀谷檀林・隆閑寺(現・伏見区深草大亀谷にあった)の講堂を移築し、仮本堂とした。昭和3年(1928年)に京都大学教授の天沼俊一が設計した本堂が完成して、7つの塔頭全ての本堂も再建されて現在に至る。【本能寺の境内について】・本堂は、昭和3年(1928年)に京都大学教授の天沼俊一が設計して再建された建物になります。国登録有形文化財に指定されています。・総門は、明治12年( 1879年)に妙心寺塔頭恭明院の門を移築したものになり、国登録有形文化財に指定されています。・境内の東側には、「龍雲院」「源妙院 」「本行院 」「高俊院」「定性院」「蓮承院」「恵昇院」という7つの塔頭が並んでいます。・本殿の裏側には、信長の三男織田信孝によって建立された織田信長の廟所である「信長公御廟所」があります。御廟所拝殿は、国登録有形文化財に指定されています。・その他にも「浦上玉堂・春琴の墓」や「本能寺の変戦没者合祀墓」や供養塔・顕彰塔などがあります。◇「本能寺」は、法華宗(日蓮宗)のお寺であるため、御朱印のほかに「御首題(ごしゅだい)」もいただけます。※「御首題(ごしゅだい)」を頂く際は、 他宗派の御朱印と混ざらない御首題帳または専用の帳面を用意した方が良いと思われます。・通常2種類で「信長公忌(6月2日)」などの特別な時期に期間限定の御朱印がある。・本堂正面にある寺務所で御朱印が授与されています。・受付時間は、9:00~17:00になる。・御朱印の値段は、300円(以前に御朱印を頂いた時の値段なので、昨今の物価高騰で変更されているかもしれません。)◇本能寺 大寶殿宝物館「三足の蛙」という、信長に本能寺の前夜に異変を伝えたといわれている香炉や織田信長が寄進した麒麟の香炉、信長公の愛刀や森蘭丸所持の大太刀などの名刀の他にも重要文化財の数々があります。・入場料は、一般 700円 中学・高校生 500円 小学生 300円になります。・開館時間は、9時00分~16時30分になります。・休館日は年末年始と、年に3回行われる展示替えの期間(不定期)となります。2026年6月再訪。
何度も京都旅行してるのにこれまで来たことがなかったのを悔やむほど見どころの多いお寺。いわゆる本能寺の変があった建物ではないが、織田信長ゆかりの地として知名度はかなり高いスポット。とは言え観光客は少なく穴場スポット。信長の限定御朱印がめちゃくちゃカッコいい!
歴史の分岐点ともいえる本能寺の変、1582年に明智光秀の謀反によって自害した織田信長公終焉の地となった寺院です。1592年に当時の場所からは1.4Kmほど離れた現在の場所に移転しています。本殿の右後ろ側に信長公のお墓があり、こちらもお参りしました。限定の特別御朱印があり、書置きですが御朱印帳に貼れるよう、のりが置いてあるので良かったです。
元々は別の場所にあったものを秀吉が移築させたそう。4回も焼失したことから火を嫌い、本能寺の能の字を変えたみたいですね。歴史的には非常に有名なお寺ですが、とてもひっそりとした空気に包まれていました。
寺町商店街の御池通側からの入口近くにあるお寺です。ちょこちょこ観光客の方々が参拝されてますが、観光地としては空いてる方だと思います。本能寺の変で有名なお寺ですが、本能寺の変があった際の本能寺の場所は四条堀川あたり、小川通蛸薬師にあったようで今の場所とは異なっていたそうです。とはいえ、お寺としては歴史もあり立派ですし、2024年9月時点では日本刀展や映画上映等様々なイベントもされてるので、是非立ち寄ってみていただけると良いと思います。
歴史の舞台になった本能寺。織田信長公の墓標があります。御朱印帳はかなりかっこ良いデザインです。現在は刀剣のイベント開催しているようですので、訪れるには良いタイミングです。最寄駅からすぐです。近くには沢山のレストランやお土産屋さんが、あるので観光ついでぐらいでも大丈夫です。
| 名前 |
本能寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
075-231-5335 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 6:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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本能寺は、京都市中京区にある日蓮宗の寺院で、1582年の本能寺の変で織田信長が最期を迎えた場所として全国的に有名です。天正10年(1582年)、家臣の明智光秀が謀反を起こし、滞在していた織田信長を襲撃しました。信長は寺内で自害したと伝えられています。現在の本能寺は寺町通御池下ルにあります。本能寺の変が起きた当時の寺は現在地より西側(堀川通付近)にあり、その後豊臣秀吉の京都改造によって移転しました。境内には信長公廟(しんちょうこうびょう)があり、織田信長を供養しています。本能寺の変に関する資料や宝物も所蔵されています。