大阪城近く、歴史薫る煉瓦の廃墟。
旧陸軍大阪砲兵工廠化学分析所の特徴
大正8年に建てられた煉瓦造りの重厚な建物です。
大阪城近くに残る日本軍の兵器工場跡地です。
歴史文化の重要物件としての価値が高いスポットです。
大阪市中央区。旧陸軍の軍事工場。この工場は1870年に大阪城内で大砲や砲弾の製造を行う大阪造兵司として始まり、火砲・戦車・弾薬をはじめとする多くの兵器の製造を行っていたアジア最大の軍事工場となりました。また、高い技術を生かして民間の製品も受注しました。しかし、1945年8月14日の大阪大空襲で集中爆撃を受け、工場内では400人もの人が亡くなり、工場の8割もの施設が失われ、その歴史に幕を下ろしました。現在、工場跡地に残る当時の建物は化学分析場跡くらいで、これも長らく放置されており、廃墟同然となっています。軍事工場は大阪の発展の土台となった一方、労働環境は劣悪で、職業病にかかった人も多かったそうです。軍事産業の光と影を伝える貴重な遺構の適切な利用を望みます。
大阪城内にある1919年建設の軍事工場。あの大空襲から被災を免れただけでも凄いのですが今や老朽化の為なのか立ち入り禁止になっています。せっかくなんだから保全修復したのち一般開放、もしくは資料館等へ再利用して欲しいものです。
旧大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)は、1870年(明治3年)から1945年(昭和20年)まで大阪城の東側一帯に存在していました。大日本帝国陸軍の巨大な兵器工場です。当時は「東洋一」と称されるアジア最大規模の軍需工場でした。最盛期には約6万人の工員が働いていました。大砲(火砲)、戦車、弾薬などの重兵器を中心に、最先端の金属加工技術を活かした民需製品も製造していました。終焉: 1945年8月14日(終戦の前日)のアメリカ軍による大規模な空襲(京橋駅爆撃などを含む)で、施設の約80%以上が破壊され壊滅しました。戦後、跡地は大阪城公園、大阪ビジネスパーク(OBP)、JR・大阪メトロの車庫などに再開発され、当時の面影は少なくなっています。旧大阪砲兵工廠 化学分析場が現在も残されています。1919年に建てられた赤レンガ造りのネオ・ルネサンス風建築で、数少ない主要遺構です。戦後は大阪大学や自衛隊が使用しましたが、現在はフェンスに囲まれ、老朽化が進んだ状態で保存されています。巨大な鉄の塊(残滓)が置かれています。化学分析場近くの園路沿いにあり、溶鉱炉から出た鉄のかすが固まったものとされています。銑鉄でしょうね。鋳物には使えたでしょうが強度は鋼鉄に劣るものです。大阪城公園内のだけでなく、陸軍造兵廠(砲兵工廠の後身)の跡を示す石碑が、UR森之宮団地内や公園各所に点在しています。ピースおおさか(大阪国際平和センター)に、砲兵工廠の歴史や空襲に関する資料が展示されており、平和学習の拠点となっています。昭和30年代に大阪環状線の車窓から、赤く錆びたプレハブの鉄骨製の工場跡が見えました。当時はキリン草がアメリカから入って来ていて、工場跡に黄色い花を大量に咲かせていました。大阪城公園駅はない時代でしたので、廃墟が一駅間続くのは子ども心にも恐ろしげでした。敗戦して十数年経ったころのお話です。戦争を感情的に嫌う人々、政治的な活動家が、見学に来るツアーすらあります。大阪の上下水道管は最初はここで作られています。いまだに土の中に埋まって活躍しているかもしれませんよ。民生用の産業がじわじわ発展する過程においては、軍関係の工場からスタートするのは、国家を作る過程です。一般的な国家の歴史を見ないで否定だけする思想はどうなのだろうか!とおこし過ぎないように夜歩いていました。サイクリングの練習をする人々、ランニングをする人々が、わたしを追い抜いていきました。
大阪城公園北外堀の道路の外側部分にある赤レンガを用いたネオ・ルネサンス風の2階建ての建物国内最大の規模を持つ軍事工場大阪砲兵工廠の数少ない遺構の一つ但し、フェンスに囲われていて近づく事は出来ない戦後、大阪大学や自衛隊の施設として使われていたなんか、外観を利用して新しい施設を整備しそうな気がするこの辺、観光客少ないし…
ここは 昭和20年8月14日つまり敗戦 前日の午後アメリカ軍の大空襲で750 トンもの爆弾が落とされ6万数千人がが働いてた内1万数千人が死んだと言われてます。当時の 警察発表によると3百数十名となっている。戦後 昭和30年代まで工場跡地はほったらかしで、スクラップの集積となってその鉄くずを目当てに在日韓国人等が盗に来ていたそうです。その話が 小松左京の小説く日本アパッチ族」の舞台となった。
「旧大阪砲兵工廠(きゅうおおさかほうへいこうしょう)化学分析場跡」兵器の研究開発や化学実験を行なっていた国内最大規模の軍事工場跡地。当時はアジア最大の旧陸軍軍事工場で火砲等を製造していたそうです。また、靖國神社の神門前の第二鳥居(青銅製)は大阪砲兵工廠の反射炉で制作されたもの(明治20年)現在は国の所有なので、大阪が手を入れることが出来ないまま放置状態。とっても魅力的な建物で、当時の様々な雰囲気を味わえる素晴らしい場所のような気がしますがこのままでは廃れる一方。取り壊しだけはしないで欲しい。
今にも朽ち果てようとしているが歴とした軍需工場で煉瓦建てで歴史文化の重要物件である。これも歴史観光から切り離されて放置している。大阪は万博なんかに金を突っ込むよりこういった史跡を重要視してほしい。
煉瓦造りの歴史を物語る建物ですがフェンスで囲われているけど特になにも施されないまま朽ちていかないように願います。
大阪城の敷地に放置されている貴重な場所。 何とか保存して内部など公開出来る様にするべき、クラウドファンディングや故郷納税など活用すれば出来る筈。
| 名前 |
旧陸軍大阪砲兵工廠化学分析所 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
https://www.osakacastlepark.jp/articles/detail.html?id=224&lang=ja |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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戦争遺跡になるのかな〜廃墟好きにはたまらん煉瓦造りの建物立ち入り禁止になっているけど、多少手入れしてきちんと保存して欲しい。