河野氏の歴史、鷺ノ森城跡。
鷺ノ森城跡の特徴
鷺ノ森城跡は、戦国時代に河野氏の支配下だった歴史ある場所です。
堀跡が神社を囲み、当時の雰囲気を感じられるスポットです。
伊予討伐の舞台となり、重要な戦闘が繰り広げられた歴史的遺構です。
行ってみました。
鷺ノ森城跡戦国時代には伊予国河野氏の支配下にありました。現在城跡は鷺森神社になっており周辺の水路は堀の名残と思われます。神社の境内に鷺ノ森城跡の案内板などは見当たりませんが、石碑だけは鳥居の脇にありました。【歴史】伊予国の河野通之は敵対する讃岐国細川氏に備え、桑原通興に鷺ノ森城を築かせます。阿波国三好氏が侵入すると湯築城主河野通直がこの城を本陣とし西条で撃退するなどしたが天正13年(1585年)羽柴秀吉の四国平定で小早川隆景に攻められ落城しました。【アクセス】神社境内に駐車できます。#お城 #城跡 #城 #城巡り #愛媛県#西条市 #鷺ノ森城。
お城と思えるようなものは何もありませんでした。神社のみです。
元亀三年の乱と云われて、阿波の三好氏は、伊予討伐の時:河野軍がこの鷺森城に本陣をおき、三好軍の襲来に備えたと云われている。結果、高尾城主石川越前守は敗退し、切腹してはてたと云う。!?西暦1572年の事、長曽我部の四国統一による関わりが、伊予東予の内戦であつたと云える!
応永年間に伊予国守護河野通之が家臣桑原通興に命じて築かせものですが、近隣の金子氏や黒川氏にしばしば攻められ、最終的に天正13年、豊臣秀吉の命によって小早川隆景が伊予に進攻した際、鷺ノ森城は城主以下全員討ち死にして落城しました。この地の鷺ノ森神社は、文和元年(1352)伊予国守護職河野通盛が当地を埋め立て、伊勢神宮を勧請し、その時植えた楠に白鷺が群棲したのでいつしか鷺森と呼ぶようになったとのこと。その後通盛の子孫道之が城としましたが、城の面影は薄れ(堀跡が排水路として残っている程度、元々海城か?)、現在も天照皇大神や宗像3女人を祀るお社が佇んでいます。車は境内に駐車出来出来そうです。
名前 |
鷺ノ森城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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堀跡が神社の周りを囲んでいます。