高杉晋作ゆかりの歴史探訪。
七卿潜居の間の特徴
高杉晋作の決起が承認された歴史的な場所です。
七卿が一時留まった重要な建物の間です。
蛤御門の変に関わる歴史のひとしずくが感じられます。
20250622に訪問。あじさいの飾りがきれいだった。
2025/3/23(日)訪問。タイミングよく一人きりで思う存分に浸ることができました。意外と普通のお部屋でした。ストリートビューで全て見ることができることに驚愕。
1863年8月18日の政変において、尊皇攘夷派であった長州藩に協力していた7人の公家が公武合体派派の会津藩や薩摩藩の画策により、京都から追放されました。その際に5人の公家(5卿)が潜伏したのがこの功山寺の書院になります。蛤御門の変や第一次長州征伐後、長州藩の保守派(俗論派)が台頭し、幕府に徹底恭順を示していましたが、高杉晋作はそれを良しとせず、僅か80名の兵で挙兵したのが功山寺決起となります。「長州男児の腕前お目にかけ申すべし」とこの書院で5卿に宣言し、挙兵に踏み切った貴重な現場が残されています。高杉晋作ファンの方にはおすすめの史跡です。
しちきょうせんきょのま高杉晋作、クーデター開始!
蛤御門の変で失脚した7卿(三条実美卿他)が九州へ逃れる際にここに一時留まりました。
この建物の間に七卿(実際には5卿)がおられ、高杉晋作の決起を承認しました。ここから眺める庭は素晴らしい。是非、ご覧下さい。
| 名前 |
七卿潜居の間 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 9:00~17:00 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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建築物は見どころ満載ながら、仏像も注目すべき。面白いのは韋駄天立像、約1メートルの高さで、照明有無でがらりと印象が変わり、思わず驚嘆。「嘉暦二年の創建で、開山は聖一國師の法孫虚庵玄寂禪師である。慶長七年毛利氏堂宇を修営して菩提寺となし、寺名を功山寺となした。文久三年山口藩正義隊の陣営となり、三條實美始め五卿こゝに假寓した事がある」(『日本案内記 中国・四国篇』鉄道省、S9)。