岡谷市・馬頭観音の魅力。
永福寺観音堂の特徴
馬頭観音の神聖な存在感が感じられる場所です。
塩尻宿の西端に位置する歴史的な寺院です。
国道153号線からアクセスしやすいロケーションです。
塩尻宿の西端の鎮めが阿禮神社であるとすると、東端の押さえは永福寺ということになります。下ノ諏訪宿から塩尻峠を越えてきた旅人は、宿場の入り口手前にある永福寺の堂宇を見て一安心したことでしょう。旭観音堂と山門は堂々とした造りで、旅人は塩尻宿の繁栄ぶりを知ったはずです。徳川幕藩体制がかなり固まった段階で建設された塩尻宿には、そういう街道宿駅の構想コンセプトが明白に表れています。寺伝では、1521年に近くの長畝に臨済宗の長福寺として開基されたといいます。そこが、三州街道と千国街道とを連結した古い塩尻宿の北の入り口だったのではないでしょうか。ところがその後、中山道塩尻宿の成長にともなって1634年、宗旨を真言宗に変え、上町の南(長福寺跡)に移設されたようです。やがて塩尻宿が建設され宿場町として成長すると、さらに1704年に現在地に移設され寺名を永福寺にあらためたそうです。街道宿駅としての体裁を整えるためだったのでしょう。現在地への移設にさいして力を発揮したのは、木曾義仲の子孫、木曾義方上人だったとか。上人は木曾義仲の菩提を弔うために、本堂奥の壇上に駒形観音堂を建立しました。義仲は、挙兵して平家を京洛から駆逐したことで征夷大将軍の位をおくられ、朝日将軍と尊称されました。それで、この観音堂は朝日または旭観音堂と呼ばれるようになったとか。その観音堂はその後、焼失してしまい、1855年に二代目立川和四郎の手で再建されました。それが現存のお堂です。
国道153号線”仲町”交差点から中山道に入ると北側に有ります。
名前 |
永福寺観音堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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観音堂の馬頭観音は、岡の屋の牧という御料馬の産地(信濃国諏訪(すわ)郡,現長野県岡谷市にあった古代の馬牧。勅旨牧で信濃16牧の一つ)に祀られたのが始まりとある。