隠岐神社で心温まる御朱印体験。
天佐志比古命神社(一宮神社)の特徴
後醍醐天皇ゆかりの歴史ある神社です。
延喜式の式内社としての⼤切な存在感。
港から徒歩20分の立地が魅力的です。
雨がひどすぎて観光できず。階段の上からザーザーと水が流れ落ちてきてました。後醍醐天皇のお腰掛の石を見たかった………
島で一番有名な神社。御朱印は来居港フェリーターミナル内にある観光協会から書置きをいただける。直筆が良い場合は、海士町の隠岐神社でいただける。(宮司さんの都合次第)御朱印事体は両方でいただきましたが、同じでした。
神社の脇に後醍醐天皇腰掛けの石があります。
天佐志比古命の主祭神とする古社。一宮神社とも呼ばれる天佐志比古命は大国主命と同一です。ハッキリした創建時期は不明だが700年代後半には存在が記されています。御利益は知夫里の地域安全と所願成就。訪れた時は神社の改修工事中だった。特に立入禁止ではなかったが近づいて参拝は控えた。駐車は神社入口に向かって左側に路駐できるスペースがあります。
一宮とはその地域でいちばん位の高い神社のことですが、知夫里島の人は親しみをこめて「いっくうさん」と呼んでいます。知夫里島の南西にある神島(かんじま)に降り立った神様、天佐志比古命(あまさしひこのみこと)は知夫里島本島の御越鼻に渡り、仁夫里地区、そしてこの場所で落ち着いたそうです。境内には回り舞台も備えた芝居小屋があり、夏の例大祭は1760年代から続いています。隠岐では珍しく農村歌舞伎を奉納しており、中学生男子の白波五人男がおおとりを務めています。古びた石段を上がると正面にお社があり、左手に芝居小屋があります。芝居小屋の前は観客用にひな壇の作りになっており、緩やかな段々でゴザなどを敷いて見物できる作りになっています。特別駐車場などはありませんので、路肩に寄せて駐めるようになります。
後醍醐天皇ゆかりの神社。
隠岐神社で御朱印をいただいたので、訪れた次第。知夫里島へは、ここの神社だけ参拝する予定だったので、地元のコミュニティーバスを利用し、5分ほどで到着。石段を上がった先にひっそりと社殿が佇み、振り返れば、漁港の雰囲気漂う風情が見え、来てよかったと思う。境内の右手には、後醍醐天皇が座ったとされる「腰掛けの石」があり、帰りは、折り返しの同じ時間帯のバスで戻りました。
まぁ此処の氏神さんねやろなあ😊🙏
港から徒歩20分程でした。御朱印は隠岐神社で頂けます✨
| 名前 |
天佐志比古命神社(一宮神社) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=30614 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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天佐志比古命神社(あまさしひこみことじんじゃ)。島根県隠岐郡知夫村郡。式内社(小)、旧村社。【祭神】天佐志比古命資料によると、知夫里の先住者によって祀られたとされる。御祭神は、天佐志比古命(あまさちひこのみこと)。大己貴命の別号とする説があるという。社伝によれば、御祭神は第31代用明天皇(在位:586年-587年)の御代、新府利の沖の中島(神島)に出現し、中島に59年坐した。その後、孝徳天皇の白雉4年(653年)8月、新府利東浜詰岩石に上陸した。初めは、新府利(仁夫里)の里に鎮座したという。『続日本後記』承和15年2月、「奉授隠岐国天佐自比古神従五位下」とある。『隠州神名帳』にも、「従一位天佐自彦大明神」とある。江戸時代前期の万治2年(1659年)10月、現在地に遷座した。現在は、知夫村の総氏神として崇敬されている。地元では親しみを込めて「一宮(いっくう)さん」と呼ばれる。一宮神社とも。現在の社殿が整備されたのも、この文政年間の頃とされる。他にも、後醍醐天皇にまつわる腰掛の石や、推恵神社の御祭神である小野検校(おののけんぎょう)にまつわる石がある。とあります。