安房国の静寂、28番札所。
自性院(松野尾寺)の特徴
室町時代に建立された念仏堂が起源の歴史あるお寺です。
関東大震災での倒壊を経て、合併した自性院の歴史も刻まれています。
静かな雰囲気が漂う、歴史に包まれた仏教寺院です。
館山市有形文化財(工芸品)水晶製六角五輪塔形舎利塔<市指定:昭和61(1986)年7月22日〉この水晶製五輪塔形舎利塔は、大正12 (1923)年の関東大震災で倒壊し、自性院に合併した来迎寺の本尊であった木造阿弥陀如来立像(江戸時代)の頭部から発見されました。地輪・水輪・火輪と風輪・ 空輪の2部材からなり、総高は4.3cmで、とても小さなものです。風輪・空輪の部分は失われ、木製のものが代用されていますが、地輪・水輪・火輪は水晶の一材でつくられています。火輪から水輪にかけて、中央に穴があけられ、仏像に魂を込めるために納められた舎利 (釈迦の火葬骨)を納入できるようになっていますが、舎利はみつかりませんでした。風輪の下部に作り出されたほぞで、栓をするようになっています。塔形の舎利容器ともいえる舎利塔は、平安時代末期から鎌倉時代に、工芸品として造形的にもすぐれたものがあります。舎利塔の製作は以後江戸時代まで続きますが、自性院の水晶製舎利塔は、鎌倉時代の遺品とされています。特徴は、火輪と地輪が六角形になっていることです。水晶製五輪塔形舎利塔は、全国で数十例が確認されていますが、 六角形のものは数例しかありません。館山市有形文化財(彫刻)木造阿弥陀如来坐像<市指定:平成2(1990)年7月23日〉この仏像は、大正12 (1923)年の関東大震災で倒壊し、自性院に合併した安楽院の本尊であったと考えられているものです。ちなみに自性院の本尊は不動明王であり、この像は外陣に安置されています。像高70.0cm。一木造りで、背と像の底から内刳りが施されています。内刳りとは、材料となる木材の木の心(年輪の中心部分)を除去することをいいます。頭部の螺髪(「螺」は巻貝のこと)を大きく刻み出し、顔立ちに後世の補修をうけたようすがあるものの、重厚な雰囲気をそなえています。また、着衣は胸をU字状に開け、衣の端を両脇にはさんで変化をつけているものの、衣のひだをほとんど表現していない点や、腰の幅を大きくとり、そこから張り出した脚は膝を三角につくって両足をはっきりさせている点などに、古い時代の仏像の様式がうかがえます。背中が平板なことは、地方の平安時代の仏像によくみられる特徴で、この像は、平安時代中期の 12世紀後半の作と考えられる古い仏像です。【現地案内板より抜粋】看板に釣られて立ち寄りました。細い小道を上がって行くと、広い駐車スペースがあります。実際に看板にある水晶製六角五輪塔形舎利塔や木造阿弥陀如来坐像を見ることは叶いませんでしたが、説明文だけでも非常に興味深いものでした。
安房国札三十四観音霊場 二十八番札所 真言宗智山派 聖観音菩薩。
安房国札28番。
古くは、室町時代の豪族・神余景貞の三回忌に、里人が岩崎台に建てた念仏堂にはじまり、文安5(1448)年に福寿山満福寺と改め、のちに福聚山松野尾寺と改称されましたが、大正12(1923)年9月1日の関東大震災で倒壊したため、同じく地区内で倒壊した来迎寺、安楽院と共に、巴川を挟んで対岸の山中にあった自性院に合併されたという歴史があります。自性院に関しては、山号を瑠璃山と号し、文殊菩薩を本尊とする真言宗智山派の寺院で、安房国札三十四ヶ所観音霊場第二十八番札所に指定されています。御腹やぐらには中世の宝篋印塔や五輪塔が残されています。寺宝には、旧来迎寺本尊の阿弥陀如来立像胎内に納められていた鎌倉時代の『水晶製六角五輪塔形舎利塔』や平安時代中期の『木造阿弥陀如来坐像』があり、共に館山市の有形文化財に指定されており、他に旧松野尾寺の像で室町時代の木造聖観音立像があります。寺院には北側入口からのアクセスとなり、境内に駐車スペースあります。
静かなお寺。本堂前の見事なソテツが南房総の土地柄を表しています❗
安房巡礼の28番所です。
| 名前 |
自性院(松野尾寺) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0470-28-0644 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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安房国札三十四観音霊場の28番札所として参詣させて頂きました。元々は現在、聖観世音菩薩様が祀られている松野尾寺は、現在の瑠璃山自性院と川を挟んで対岸にありましたが、関東大震災で倒壊してしまったため、現在の自性院に移されたとのことです。駐車場が見当たらず、県道86号線沿いの少し広くなっているところから、徒歩で参道を登りました。本堂にてご住職様と檀家様に御朱印を対応頂きました。ありがとうございました。