放浪の俳人井上井月の地。
井上井月の墓の特徴
柳の家井月、北越漁人として知られる俳人の記念碑です。
井上井月は酒を好み、俳句を詠んだ漂泊の生活を送った人物です。
体中虱だらけの放浪俳人・井上井月に思いを馳せる場所です。
井月ファンはぜひとも。
体中虱だらけ、泥酔しては寝小便を垂れる、放浪・乞食俳人の井上井月のお墓です。井月先生が、この下に眠っていると考えると、思わず、お墓にビールを注いでしまいました。本当は飲みながら「千両!千両!」と言いたかったのですが、生憎車ですので。墓石に刻まれていた句「降るとまで人には見せて花曇り」辞世の句「何処やらに鶴の声きく霞かな」約140年後もお参りする人々がいることに、驚きと喜びを感じていることでしょう。
「柳の家井月」「北越漁人」などとも号した「井上井月」は、1822(文政5)年に越後長岡藩で生まれ、1858(安政5)年忽然と伊那谷に姿を現して以来、同地で放浪の生活を続け、酒を好み漂泊を主題に俳句を詠んだ俳人だ。当地の女や子どもたちは「乞食井月」と忌み嫌ったが、趣味人の男たちの中には師事する者もいたという。書も堪能で、富県村(現在の伊那市)「日枝神社」などの寺社奉納額を揮毫している。近世の俳諧沈滞期「月並俳句の時代」にあって芭蕉の再評価を目指した井月だが、影響を受けた後の文人に、「芥川龍之介」「種田山頭火」「つげ義春」などがあげられる。その山頭火は傾倒する井月の墓前で「お墓撫でさすりつゝ、はるばるまゐりました」「お墓したしくお酒をそゝぐ」「供へるものとては、野の木瓜の二枝三枝」などと詠んでいる。戸籍法をうけ、1884(明治17)年には美篶村(現在の伊那市)塩原折治(梅関)の厄介人として塩原家へ付籍して「塩原清助」を名乗った井月だが、1886(明治19)年12月に路傍で行き倒れているところを発見され、塩原家で看病を受けるも、1887(明治20)年2月16日に66歳で没したという。伊那市美篶末広の塩原家墓地の杉の根元には、小さな丸い墓石が孤なる趣で虚空に向かっている。刻まれたという句「降るとまで人には見せて花曇り」(ふるとまでひとにはみせてはなぐもり)は、1891(明治24)年以来(他説もある)の風雪を経て、今は確認することが出来ない。
| 名前 |
井上井月の墓 |
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| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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大型バスで行きましたが駐車スペースが無く路上駐車をしてしばらく(3〜4分)歩いてもらいました。もう少しこうした環境整備が今後必要だと感じました。