江戸の歴史、山村代官屋敷で!
山村代官屋敷の特徴
江戸時代の山村家が残した文化財と歴史に触れられる場所です。
巴御前の武者人形と雛人形が展示されていて、見どころが豊富です。
目を引く庭園は手入れが行き届いており、訪れる価値があります。
江戸時代、木曽谷の支配と福島関所の関守を世襲した「山村家」の屋敷。かつては広大な邸宅を構えていて、隣にある「小学校」の敷地も屋敷でした。現在は、享保年間以降に再建された下屋敷の一部と「築山泉水式」の庭園が残り、山村家ゆかりの書画や調度品、復元された饗応料理のレプリカが展示されています。特に「山村蘇門」は学問に通じ、見事な書物や絵画が所蔵されています。「山村蘇門」は天明元年(1781年)、第9代として家督を継ぎ、代々の通称である甚兵衛を襲名した。山村家は深刻な財政難に陥っていたが、率先して質素倹約に努め、幕府に掛け合って木曽領内に運び込まれる米を確保し、石作駒石ら有能な家臣を登用して町人の協力を取付け、財政再建に大きな成果をあげた。天明7年(1787年)は全国で大規模な飢饉となり、餓死者が多数出ていた。「蘇門」は自ら領内を巡視して救済にあたり、木曽では多くの人々が餓死を免れた。こうした業績は老中・松平定信や、尾張藩主・徳川宗睦の知るところとなり、天明8年(1788年)、尾張藩の年寄(家老職)に抜擢され、従五位下伊勢守に任じられた。また、山村家の儒臣であった石作駒石の書斎「翠山楼」も見所です。『福島関所資料館』と共通券で550円と手軽な料金で江戸時代の代官の暮らしぶりと立派な関所を見ることが出来ます。
木曽町有形文化財であり、日本遺産でもある山村代官屋敷に行きました。かつての屋敷は明治3年に殆どが取り壊され、残っている敷地は福島小学校で今に至っています。山村蘇門はご飯より本が好きな子ども時代。学問は勿論、詩を書いたり絵画も素晴らしく長けていて、それに人望が熱く町の人たちに寄り添い、災害や飢饉から守ったりした素晴らしい御人です。展示物の書物やおもてなしの料理のレプリカ、貝合せと貝を入れる貝桶の美しいこと。しっかり見て楽しませていただきました。
木曽代官だった山村家の屋敷で現存の建物はほんの一部とのこと、それでも庭園は立派。
観光で木曽福島の関所資料館へ行った時に受付のおばちゃんに勧められて訪問しました。江戸時代に関所を管理していた優秀な御代官様に関する資料がいっぱい展示されています。関所資料館と共通のチケットがあるので、関所資料館とセットで訪問するのがオススメです。
巴御前の、武者人形と、雛人形🎎が、素敵です消防士の、服、かみしも、鎧貝あわせや、百人一首も、綺麗な状態で、残っていて、箱には素敵な絵が、かいてあります狐のミイラが、見つかった話しが興味深いです🤗御庭も、手入れが、いきとどいてますね。
正面に無料の駐車場があります。真夏の暑さでしたが門からお屋敷までのプロムナードが木立のお陰で静寂かつとても涼やかです。入館料は有料(¥300)ですが、門を入ってすぐ左手に祀られているお社から中庭にのぞむ邸宅をちょっぴり拝見できます。
福島関所の関守を代々務めた山村氏の屋敷跡。下屋敷が残る。上屋敷は現小学校。
木曽福島宿の観光地です、歴史好きな人にはいい場所ですね、昔のお代官様の優雅な暮らしぶりが分かります‼️
300円だから。ここを、旅のメインの目的地にするのは、ちょっと違うなって思うけど。近くを通ったから寄るのは、正解だと思う。退屈しないし、なかなか楽しめる。
名前 |
山村代官屋敷 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0264-22-3003 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

関所資料館とセットで訪問することお勧めする。