江戸時代の山村家、魅力満載!
山村代官屋敷の特徴
江戸時代の山村家が残した文化財と歴史に触れられる場所です。
巴御前の武者人形と雛人形が展示されていて、見どころが豊富です。
目を引く庭園は手入れが行き届いており、訪れる価値があります。
必見。山村蘇門をはじめお歴代の方々の学の深さに頭が下がる思いで拝見した。見学は1時間は要するのでそのつもりでスケジュールを。
2025.08訪問。この界隈を治めていた代官さんの屋敷跡(一部)だそうです。近所にある関所資料館との2館券なら割引があります。
山村家は江戸時代の274年間代官を務めており木曽にいながら尾張藩を管理して、領地と関守を管理していた。屋敷は大小30棟余りの建造物がありましたが現在は当時の3分の1ほどしか残っておらず隣の木曽町立福島小学校がその場所になります。今は享保8年(1723年)に再建された下屋敷の一部と、築山泉水式の庭園が残り山村家ゆかりの書画や調度品などが展示されています。屋敷内には山里とは思えないほどの贅を尽くした饗応料理のレプリカの展示もありました。門を入るも左側には御稲荷さんがあり進と受付があります。入館料300円です、やはり目玉は本物の キツネ のミイラを見る事が出来るので、受け付けで声をかける事ですが仕事中には厳しい時もある見たいですね。
もともと、山村家はもともと江戸幕府旗本でしたが、1615年、尾張藩の直属の木曽代官となり、木曽を納め、関所を維持しました。ここは山村家の屋敷の一部と庭園があります。隣の学校の基礎部分の石垣は現存する貴重な遺構です。
関所資料館とセットで訪問することお勧めする。
数多くの展示物にますます山村氏のことに知りたいという欲が湧いてきました。関所とセットのチケットを購入して両方まわることをおすすめします。入り口脇にに縦列駐車タイプの細長い無料駐車場があります。恥ずかしながらこの歳になるまで木曽の歴史はほとんど知りませんでした。江戸や京都とも遠く離れた場所。立地条件も厳しいもので、背は山、目前には木曽川と、現代でいう土砂災害警戒区域で274年という長きにわたって関所と山林を守り続けてこられたことに驚きと感動を隠せません。まさに信頼と実績の山村氏の偉大さに感服です。
江戸時代、木曽谷の支配と福島関所の関守を世襲した「山村家」の屋敷。かつては広大な邸宅を構えていて、隣にある「小学校」の敷地も屋敷でした。現在は、享保年間以降に再建された下屋敷の一部と「築山泉水式」の庭園が残り、山村家ゆかりの書画や調度品、復元された饗応料理のレプリカが展示されています。特に「山村蘇門」は学問に通じ、見事な書物や絵画が所蔵されています。「山村蘇門」は天明元年(1781年)、第9代として家督を継ぎ、代々の通称である甚兵衛を襲名した。山村家は深刻な財政難に陥っていたが、率先して質素倹約に努め、幕府に掛け合って木曽領内に運び込まれる米を確保し、石作駒石ら有能な家臣を登用して町人の協力を取付け、財政再建に大きな成果をあげた。天明7年(1787年)は全国で大規模な飢饉となり、餓死者が多数出ていた。「蘇門」は自ら領内を巡視して救済にあたり、木曽では多くの人々が餓死を免れた。こうした業績は老中・松平定信や、尾張藩主・徳川宗睦の知るところとなり、天明8年(1788年)、尾張藩の年寄(家老職)に抜擢され、従五位下伊勢守に任じられた。また、山村家の儒臣であった石作駒石の書斎「翠山楼」も見所です。『福島関所資料館』と共通券で550円と手軽な料金で江戸時代の代官の暮らしぶりと立派な関所を見ることが出来ます。
木曽町有形文化財であり、日本遺産でもある山村代官屋敷に行きました。かつての屋敷は明治3年に殆どが取り壊され、残っている敷地は福島小学校で今に至っています。山村蘇門はご飯より本が好きな子ども時代。学問は勿論、詩を書いたり絵画も素晴らしく長けていて、それに人望が熱く町の人たちに寄り添い、災害や飢饉から守ったりした素晴らしい御人です。展示物の書物やおもてなしの料理のレプリカ、貝合せと貝を入れる貝桶の美しいこと。しっかり見て楽しませていただきました。
木曽代官だった山村家の屋敷で現存の建物はほんの一部とのこと、それでも庭園は立派。
| 名前 |
山村代官屋敷 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0264-22-3003 |
| 営業時間 |
[金土日月火水] 9:00~16:30 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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2025/8/18中には入らなかったが、素晴らしい居館があるようだ。隣の福島小学校も含めた広大な敷地であったらしい。江戸時代を通じて生き抜いたなんてすごいことだ。