後鳥羽上皇の聖地、夜の隠岐神社。
隠岐神社の特徴
後鳥羽上皇を祭神とする歴史ある神社です。
桜のトンネルが美しく、参道を彩っています。
夜の公式参拝では独特の雰囲気を体験できます。
御祭神は後鳥羽天皇。19年の在島後に崩御され源福寺に遺骨を納め奉られていた。その後、松江藩により御廟を造られるも荒廃していったそうです。没後700年である1939年に現在地に創建。1万坪を超える広い境内には立派な本殿や拝殿が建っています。参道の桜並木は隠岐で一番の花名所と言われている。境内は全体的にキレイ。平日は参拝者が少ないので落ち着いた雰囲気です。御朱印は書置きの物が拝殿の傍らに料金箱と共に置かれています。駐車場は後鳥羽院資料館と共通。30台停めれるスペースです。神社に向かって右側の道路からも境内へ登っていけますが基本的に資料館へ停める方が良いと思います。
後鳥羽上皇ゆかりの神社です。とても広くて立派です。奉納相撲の為の土俵がありました。参拝者が少なく寂しい感がある神社でした。
昭和14年にできた新しい神社です。新しいので広く整ってはいます。御朱印的にはここのもののほかに天佐志比古命神社と宇受賀命神社のものがいただけることが要チェックポイントです。後鳥羽上皇の絵本がありましたが2000円はちと高いかな。
後鳥羽上皇行在所跡の隣に、隠岐神社がありました。鎌倉時代に海士町に配流された後鳥羽上皇をお祀りしている神社です。境内は約56000平方メートルと広大で、参道の両側に桜並木が続き桜の名所として知られています。毎年4月14日と10月14日に例大祭が行われています。1939年(昭和14年)に後鳥羽上皇の崩御700年に合わせて建てられた、比較的新しい神社です。隠岐造りと呼ばれる隠岐の伝統的な建築様式で造られており、その重厚さから厳かな雰囲気を感じさせます。近くには後鳥羽院資料館があり、後鳥羽上皇や隠岐神社に所縁ある史料が展示されています。
昭和14年(1939年)後鳥羽上皇の崩御700年に合わせて建てられた、比較的新しい神社です。隠岐造りと呼ばれる隠岐の伝統的な建築様式で造られており、その重厚さから厳かな雰囲気を感じさせます。周辺には、後鳥羽上皇が住まいとしていたお寺の跡地や、和歌に秀でていた後鳥羽上皇が和歌に読み込んだ「勝田池」などがあり、当時の後鳥羽上皇がどのような思いで過ごされていたのかを垣間見ることができます。参道の途中には相撲の土俵もあります。また、参道の両脇に後鳥羽上皇が詠まれた「隠岐百選」の和歌が書かれた幟が立ってます。当日はたまたま団体さんが昇殿参拝に訪れており、私は音を立てないように注意しながら参拝しました。
政変で、流罪になった後鳥羽上皇が余生を送られ、ご崩御された場所だそうです。資料館などもあります。300円だったかな。鎌倉との戦で有名ですが、新古今和歌集の詔を行ったり、武芸や刀鍛冶、和歌など多才な才能のあったそうです。大河ドラマでは、蹴鞠をしていましたね。駐車は、はす向かいお店の前に停められますが、離島ですので車は少な目です。役場の前から道が狭いので、レンタサイクルかバスが良いと思います。港(菱浦)から少し距離があります。(車で10分位)
美しいしめ縄が印象的でした。神社は比較的新しいとの事(とはいえ、80年ぐらい)。金具にたくさんのハートマークがありましたので、見つけてみてください。参道は桜の時期がとても美しいそうです。また、びっくりするぐらい大きな松ぼっくりも落ちていました。クラフトにいいかも!近くにはオシャレなお土産屋さんや後鳥羽上皇の資料館もあるので、そちらも合わせていかれることをお勧めします。
昭和14年建立ということであまり期待してませんでしたが、後鳥羽上皇の歌が乱立し、後鳥羽院の聖地的雰囲気を醸し出しており、予想以上によかったです。紅葉も見事でした。
鳥居から続く桜のトンネルが見事だった!境内は大きくはないが風格が漂っていた。何よりも、御朱印帳が厳かな装丁で魅了されてしまい、特に御朱印を集めているわけではないが、買ってしまった。
名前 |
隠岐神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
08514-2-0464 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.2 |
周辺のオススメ

後鳥羽上皇を祭神とする神社。静寂で落ち着いた境内は、観光客も少なく落ち着いてお参りできました。