現存12天守、宇和島城の絶景!
宇和島城の特徴
宇和島城は日本100名城の一つ、歴史的価値のあるスポットです。
現存12天守の1つで、天守からの眺望が素晴らしいです。
伊達政宗の長子秀宗が宇和郡に入城した歴史があります。
天守通常料金200円、65歳以上160円、団体160円でした。中々宇和島は行けないですが、行って良かったと思える程素晴らしい天守でした。児島惟謙先生の銅像を拝見して、宇和島城入城伊達政宗の長男、秀宗が入城後、明治を迎えるまで南海の伊達9代の居城でした。国が定める重要文化財に指定されている天守は、宇和島伊達家2代藩主の宗利が寛文6(1666)年頃に建築したもので現存天守です。かつて同所には、築城の名手として有名な藤堂高虎が慶長6(1601)年に建築した天守がありましたが、天守台の石垣を含めて宗利により全面的に建て直されました。高虎の宇和島城は3重3階建てで望楼型で下見板張で、宗利の宇和島城は3重3階建てで層塔型で白漆喰総塗籠(しろじっくいそうぬりこめ)と違いがあるようです。上がり立門から入り、式部丸を通り煙硝櫓を観て、代右衛門丸矢倉、南角矢倉を見上げながら、長門丸門まで歩く。雷門を通り、城番屋敷を横目に進んで御書物矢倉を観ながら、三の門を通り、北角矢倉を観ながらニの門を通る。二の丸に到着。櫛型門(一の門)をくぐれば本丸に到着。天守は千鳥破風、唐破風、軒唐破風が観られ天辺には鯱が牛の角のように装飾されていて宇和島らしい威厳がありました。天守入城。こじんまりとした内装ではあるが石垣の天守台を持つ層塔型の天守で、当時の最新を取り入れた素晴らしい天守。眺望最高。1階から3階まであり、伊達家の甲冑や現存天守の資料や木製の骨組みなど様々な資料が有り勉強になりました。帰りは二の丸、雷門を通り、想像を超えた長さの長矢倉を観て、西角矢倉、北角矢倉を拝見し、藩老桑折氏武家長屋門から出城しました。最後に宇和島城のピンバッジを買って帰りました。
【宇和島城】宇和島城は愛媛県宇和島市にある標高約80mにある平山城。江戸時代には宇和島藩が置かれた。宇和島と言えば伊達家が有名だが、築城は1596年(慶長元年)に藤堂高虎により行われている。その後、1614年(慶長19年)に伊達政宗の長男である伊達秀宗が入城。初代宇和島城の城主となり、仙台伊達家の別家として宇和島伊達家が9代に渡って幕末まで城主を勤める。現在の天守閣は、2代目藩主の伊達宗利による建て替え(1666年~1671年頃)による物で、この時に天守閣は独立式層塔型3重3階に変更されている。本来の城郭構造では、東側は海水を引き込んだ水堀で西側半分が海に接している水城でもあったが、堀は明治時代に埋め立てられ現存していない。頂上の天守までは歩いて行く事になるが、やや急な坂道で迂回して行く方法と、急石段で時短して行く二通りの行き方がある。急石段の方は、松山城で言えば黒門口からの登城道が急石段になっていて感覚的に近く、距離も黒門口登城道の全長の2/3程で丁度運動にもいいでしょう。城内の急階段は階段とゆうよりは最早梯子に近く、女性はスカートの丈が短いと見えてしまう可能性が高いので、後ろをバッグなどで隠すか、女性を先に行かせ男性が後ろから行く、又はズボンを履いて行くといいと思います。宇和島城は現存12天守の内の1つなので城好きな人には特におすすめです。
日本100名城No.83の宇和島城へ登城してきました。なんと言っても現存12天守のひとつです。江戸時代に建てられた天守が今も見られること、天守は江戸時代でもその縄張りは築城の名手として名高い藤堂高虎公のものということで、お城好きには魅力でいっぱいの場所です。幕府の密偵が城の縄張りを四角形と報告し、上手く五角形の形を隠せたという逸話は、天守内で展示されている当時の図とGoogle Mapと見比べると…国道56号線がそうなのですね。関連するのが、伊達政宗公の実子の秀宗公で、宇和島藩創立直後の壮大な親子喧嘩を経て仲が良くなったエピソードも面白かったですし、幕末期には、四賢侯に挙げられる伊達宗城公の幕府や明治政府への関わりなど、天守は小振りでも、数々の歴史がとても楽しいものがありました。
口コミをみて現存する天守閣と言うことで行ってみました。そもそも久しぶりにお城に行ったのですが、こんなに楽しかったかなと思いました。お城までの階段の途中にある井戸も思ったより立派で、苔が素敵だったし、石垣も立派でした。お城自体も、歴史を感じる木造が良かったです。階段は急でしたけど、420年以上の歴史を感じられて感慨深かったです。
現存12天守の1つ宇和島城です。元々板島丸串城といい1595年藤堂高虎が宇和郡7万石を拝領、入城しました。その時に板島の地名を宇和島と改めて板島丸串城の地に築城工事の建造が始まります。1614年伊達政宗の長男、秀宗が10万石で入城。1617年頃から宇和島城と呼ばれるようになりました。以後、仙台伊達家の分家として宇和島伊達家が9代に渡り幕末を向かえる。瀬戸内海の気候も相まって雰囲気が凄く良いです。藤堂高虎が築城を手がけたとの事で石垣が大変に見所があります。宇和島に来た際には寄ってみてください。
現存十二天守の1つ 22お盆 初訪問。西四国ぐるり旅の観光地の1つ。四万十川の沈下橋、足摺岬、柏島、そして宇和島、次は松山という流れです。駐車場は城下の入り口にあります。車を停めたら軽く登山の感じ。城壁の内側は車できたときにはここにしか駐車場がないため、アクセス目標は一択となります。門をくぐってすぐに階段が始まり、息を切らせながら登坂見上げども天守は見えず、なかなかに攻め手側の絶望感が感じられます。がんばって登り切ると本丸は開けていて小さな天守と御対面。天守の中も見られます。一通り町を眺めて曲輪の散歩。上りとは違うルートで車に帰りました。
日本に現存する12天守閣のひとつ。お城自体はこじんまりとしていますが、石垣も立派でした。また、城に入るまでにそこそこの階段を登りますので、足腰が弱い方は注意。登れば宇和島市内を見渡すことができます。駐車場は20台分くらい、1時間100円のものがあります。すぐ下に小洒落た土産物屋さんなどもありました。
駐車場🅿はお城の東側にある【宇和島市観光物協会】に停めました。お城に辿り着くまでの道のりが古びており歴史を感じました。天守自体はこじんまりとしていました。ただ芝生や遠くの山々や海の景観が素晴らしく、のんびりとした時間を過ごす事が出来ました😌
宇和島城は藤堂高虎が築城し、その後宇和島に入部した伊達家によって改修された。天守は江戸前期の建造で重要文化財、現存12天守の一つでもある。宇和島藩主伊達家の初代秀宗は伊達政宗の長男だったが、側室の子だったために、別家して立藩した。江戸時代を通じて仙台藩は宇和島藩を分家、庶家扱いし、宇和島藩の方では「同苗別家」として独立した地位を主張し、どうでもいいことで争論していた。仙台藩の領地を分けてもらったわけではないから、宇和島藩の言い分には理があるが、面子の問題で大した利害はない。ただ、仙台の「伊達家文書」などを見ると、それほど仲が悪かったようにも見えない。幕末の藩主は名君と言われる宗城で、彼も維新の際の仙台藩の処分には何かと気を使っている。青空と周囲の緑に覆われた山並に白壁の天守がよく映えて、威圧感より優美さを感じさせる。麓の北登山口に桑折家長屋門(家老屋敷の一部)があり、駐車場もある。登山といってもたかだか標高80mほど、所々で石垣や井戸跡などの遺構を見て登るのは楽しい。城跡は国指定史跡、「日本100名城」選出。
名前 |
宇和島城 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0895-22-2832 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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全国の城を巡るの好きですが、ここはトップ3に入る。・現存の天守閣・城までのアクセス、雰囲気・天守閣からの景色・山城と平城の特徴がよく出てる藤堂高虎が築城した当時の雰囲気にのまれる。門をくぐるとタイムスリップしたかのような感覚になる。