尼子義久公のお墓へ参拝。
補陀山 大覚寺(曹洞宗)の特徴
優しい住職さんと奥さんが出迎える、おもてなしが魅力です。
大覚寺には尼子義久公の墓が境内にあり、歴史を感じるスポットです。
長門観音霊場の4番札所として、多くの信仰を集めるお寺です。
尼子氏最後の当主、義久公の墓所一時期は中国地方屈指の勢力を誇った尼子氏でしたが…。戦国の世の常とはいえ何とも言えない気持ちになります。
尼子義久公の墓所があるお寺です。山陰の雄 尼子義久は、永禄3年(1561年)父 晴久の急死後、家督を継ぎました。以後、毛利氏の侵攻に対抗していましたが、永禄9年(1566年)ついに月山富田城が毛利氏に包囲され、義久は開城を決意しました。月山富田城が陥落したことにより、大名としての尼子氏は滅亡しました。元就は儒教の人道主義に則り、義久と弟 秀久らの自決を認めず安芸長田の円明寺に幽閉しました。許されて一族が奈古に来たのは、毛利氏が関ヶ原で敗戦した後の慶長年間になってからと思われています。義久は、慶長15年(1610年)に亡くなりました。義久と秀久の墓は大覚寺の裏山に建てられています。
尼子義久、秀久兄弟のお墓があり、住職さんの話によると正面、義久、左の石板が秀久のお墓だそうです。
長門三十三観音霊場、第4番札所です。参道を登っていくと、ビャクシンの巨木が迎えてくれました。本堂と観音堂をお参りして、裏の尼子氏の墓へ行きました。ここ奈古が、尼子一族の終焉の地だったことを初めて知りました。
尼子氏ゆかりのお寺。尼子義久の墓をはじめとしてよく整備されていると感じた。
片田舎のお寺ではありますが、優しい住職さんと奥さんが出迎えてくれます。また本殿の中は立派で圧巻される大仏様が居られます。近くに阿武町道の駅がありますので、ふらっと立ち寄ってみるのも一興かと。
わが家の菩提寺です。落ちつくところです。
尼子義久公の墓が境内にあります。
長門観音霊場 4番札所。
| 名前 |
補陀山 大覚寺(曹洞宗) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
08388-2-2127 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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