周防三之宮で心身清める。
仁壁神社の特徴
延喜式内社の仁壁神社は由緒正しい歴史を持つ神社です。
木々に囲まれた境内で心身共に落ち着く特別な空間です。
陸上自衛隊の演習場近くに位置し、アクセスが良好です。
仁壁神社(にかべじんじゃ)。山口県山口市三の宮。式内社(小)、周防国三宮。旧県社。【祭神】住吉三神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)(相殿)下照姫命・味耜高彦根命の兄妹神資料によると、『仁壁神社鎮座考』では味鋤高彦根命が主神、下照姫命が相殿神で、住吉三神は合祀されたものと記されている。他に、下照姫命が主神で、他の四柱が合祀されたものという説もある。創建年代は不詳であるが、第10代崇神天皇7年、各地の神社の神封戸を定めた時に、当社にも宮野庄を神封戸として充てたとの記録があり、この時にはすでに存在していたことになる。宮野地区の「神織機」という地名が伝わっており、下照姫命も何かと機織りと縁深く、古くから農業や養蚕・織物が盛んで、交易も頻繁に行なわれていた可能性が指摘されている。国史の初見は、『日本文徳天皇実録』嘉祥3年(851年)正月27日条の、従五位の神階を授けるという記述である。その後も昇格し、建久6年(1195年)に正三位まで昇った。吉敷郡で唯一の式内社。元は宮野下村に鎮座していたが、現在地で一日中玉光が飛ぶ奇瑞があったとして、長治元年(1104年)に現在地に遷座したという。明応6年(1494年)、九州の戦陣から帰った領主大内義興が当社を含め周防国内の5社に戦勝報告し、当社は3番目であったことから以降「周防国三の宮」と称されるようになった。永徳12年(1569年)、大内輝弘の乱で社殿は焼失したが、程なく毛利輝元によって再興された。その後正徳2年(1712年)にまた焼失したので、享保5年(1720年)に重建された。その社殿が長く存在していたが、平成9年(1997年)に放火による火災で焼失。平成12年(2000年)に本殿・拝殿・幣殿が再建され、平成21年(2009年)、神楽殿が再建された。とあります。
2025年11月28日に訪れました。山口縣護国神社から歩いて20分ほどで到着。前日に電話をして訪れたのだが、1時間近く早く着いてしまって、とりあえずお参り。境内を散策していると、左手にはイチョウの木、右手にはモミジの木と…「秋〜」ってな感じ。摂社末社をお参りしつつ散策していると、社務所に人影が。声を掛けてみると神社の方で、宮司宅の案内して下さる。御朱印を拝受し、境内で採れる銀杏と梅干しをいただき、その節はお世話になりました〜
社殿は新しくなっていて綺麗です。フラットで参拝しやすい神社ですが、ポンと小さな祠が置かれていたり硫黄島の砂成る物があったりと説明不足。
式内社で周防三之宮、参拝したのは平成9年の放火前ですがその後立派に復興したみたいでよかったです。それにしても市内は由緒ある神社仏閣歴史的建物が多いですね、毎回レンタサイクルで回ってます。
子どもの頃 近くに住んでいました。イチョウの木に会いに毎年 訪れています。
木々に囲まれ、心身共に落ちつきます。
場所は陸上自衛隊の演習場近くです。駐車場は神社の右側にあります。創建は1100年前位で歴史があります。境内は広くてゆったりした雰囲気で歴史がある神社のわりには敷居の低い感じがします。村の鎮守様って感じです。周辺にある神社よりお参りしやすですね。
幼少期に線路沿いに住んでましたが 訪れた記憶が無かった為参拝しました。入り口が細い道のため数回通り過ぎ 一方通行の駐車場はどこか認識できずに広場に駐車!ゲートボールされてる方から遊具で遊ぶ子供の声までのんびりした空間でした。
▼ ここ「宮野」の地名の由来は、延喜式内社の仁壁神社であるといわれます。実は、平安時代にはこのあたりは「神前郷(かむさきのさと)」と呼ばれていました。「宮野」の呼称が初めて見られるのは1195年「東大寺宮野庄田畑等立券文」からでぃす。▼ 神社の格式が高いということは、祭祀に参加する人々の数が多いということを意味します。つまり『延喜式』が編まれた平安前期には、すでに宮野地区は人口集住地区であったことを物語っているのですぞ。(『山口市内遺跡詳細分布調査』p.9f/『初瀬遺跡』p.1などを参考に記す)
| 名前 |
仁壁神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
083-923-0342 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-yamaguti/jsearch3yamaguti.php?jinjya=6906 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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周防国の三之宮。社務所は空いてなく御朱印は頂けませんでした。書き置きでも用意してもらえればいいのにと思ってしまった。