急勾配を越え、富南城へ!
大平新城跡の特徴
大平新城跡は、戦国時代の今川氏飛び領地を感じられる場所です。
急峻な坂道を登れば、眺めの良い三郭曲輪にたどり着けます。
圓教寺脇からの登り口には、歴史ある富南城の石碑があります。
戦国時代の大平は、駿河の今川氏の飛び領地だったそうで、武田信玄と徳川家康に挟撃されて駿河を追われた今川氏真が身をよせた地だそうです。恐らく、麓に館を築いてこの城に住んでいたのでしょう。近くの手城山に出城も備えていますし、城の規模はそれなりに大きかったと推測できます。戦国今川氏、最後の城です!沼津を代表する城の一つとして、もう少し保存整備して欲しいですね。
圓教寺の脇に、この城跡の登り口が墓地とともにあり、急峻な坂道を2丁目から攻め六、七丁目が急勾配で左は崖面、そこをクサリに代わりロープにすがり蟻の戸渡りが如く登り切ると開けた三郭曲輪に出会う。説明板のある小山が主郭?突き進むと七面堂があり、右側の岩の切れ目より枯れることの無い清水が湧く。ここは櫓台?ここより戻り尾根道をローブ頼りに登り降りすると狼煙台に到着。
標高64m、比高約55mお寺から登城道があった出丸的なお墓からは眺め良い(^o^ゞ別名の富南城の石碑がある。主郭下堀切には畝堀あったりする♬南奥の尾根には堀切♪さらに奥には出曲輪♪ずーーっと歩けば大平古城カナ?総構えがあった説もある♪今川、武田、北条、徳川など有名大名の取合いになった境目の城ラシイよん。
名前 |
大平新城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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大平新城は、『富南城』とも呼ばれ、大平山の支尾根の北端に、小田原北条氏が築いた城塞であるが、築城年代は不明です。一説には文亀年間(1501年~1504年)に韮山城と戸倉城との繋ぎの城として築かれたと伝わっています。北条氏にとっては北伊豆を掌握するための重要な城塞であり、天正9年(1581年)に戸倉城が武田氏に奪われると武田氏に対する要の城として改修され、遠山民部が城将を務めたが、戸倉城を奪われた北条氏光が城主となり武田氏に備えました。天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めにより北条氏が没落すると廃城となったと伝わっています。城の遺構は、山上に曲輪や土塁の跡が残っています。麓の円教寺は、城主の居館跡と推測されています。