柳津城跡と光澤寺の歴史。
柳津城跡の特徴
柳津城跡は光澤寺と城の石柱が共存する場所です。
戦国時代に存在した柳津城の歴史的価値が感じられます。
緑豊かな環境に囲まれた立派なお寺が魅力的です。
寺の背後に城の石柱があります。遺構は確認できません。
城跡に光澤寺が建っています。
11/19訪問遺構はない。
遺構はありません。説明板があります。
柳津城跡(/≧◇≦\)
柳津城(やないづじょう)は、岐阜県岐阜市柳津町本郷2丁目(旧羽島郡柳津町)にあった、戦国時代の日本の城である。築城時期は文亀年間(1501年頃)といわれている。城主の竹腰摂津守は斎藤氏に仕えていたが、弘治2年(1556年)の長良川の戦いで戦死し、城主は叔父の成吉摂津守尚光にかわる。成吉摂津守尚光(のちに竹腰尚光に改名)も斉藤氏に仕える。戦国時代、この地は尾張国であったが、斎藤氏の勢力下であり、斎藤氏と織田氏の戦いの最前線であった。旧柳津村の地名には、一ヶ城、七ヶ城という地名が残っていたが、これは柳津城の出城や砦があった場所といわれている。城址は光沢寺の境内にあるが、石碑のみ残る。
すごく立派なお寺さんにございます。
| 名前 |
柳津城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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1586年までは木曽川の本流は柳津城のすぐ北側を流れていて尾張国でした。要所には田代城、柳津城や高桑城といった大小のお城が点在していたと言われています。「城主は竹腰摂津守で1556年に長良川の合戦で戦死し、其の後、叔父の成吉摂津守が城主となりました。」良く記録が残っていて興味深いものがあります。岐阜市の説明版は専門家が書いたようで、的を得た説明で分かりやすいです。付近を探索していたら駒繋ぎ石(馬つなぎ石)の様な物を見つけました。詳しい方、調べて下さい。(東南200m)