歴史の息吹を感じる砲台跡。
旧豊予要塞 洞窟式砲台跡の特徴
戦争中の砲台レプリカが洞窟内にあり、歴史を感じさせる場所です。
佐田岬灯台の近くに位置し、アクセスも良好なスポットです。
洞窟は綺麗に整備されており、照明も完備されています。
レプリカ砲台がありました。運動不足の人は、行き帰りが辛い道のりになると思いますのでご注意を。
2025年4月訪問。洞窟の中に大砲のレプリカがあり御籠島展望所と併せて伊方町の新たな観光地になってました。伊方町この調子でがんばれ。
旧日本軍設置した砲台跡。坑道は整備されたものの、レプリカの大砲が置いてあり当時を偲ぶ事ができる。
豊予要塞とは(碑文)豊予海峡を挟む愛媛・大分両県沿岸には、戦時中に敵国艦隊の瀬戸内海侵入をふせぐために「豊予要塞」が建設されました。愛媛県側の佐田岬には、大正15年(1926)に「佐田岬第一砲台」、昭和2年(1927)に「佐田岬第二砲台」が完成します。しかしー度も実戦で使用されることなく、第一砲台は昭和19年(1944)、第二砲台は昭和9年に、火砲が撤去されました。しかし本土決戦が現実味を帯びてきた昭和20年(1945)、再びこの洞窟式砲台が整備されたのです。(第二砲台跡やそれに付随した「旧正野谷桟橋」(国登録有形文化財)は、現在も見学可能です)
洞窟式砲台にある「三八式十二糎榴弾砲」は、もともと日露戦争時に日本陸軍がドイツのクルップ社に発注したもので、豊予要塞の一部として鶴見崎丹賀砲台に配備され、後に佐田岬の洞窟式砲台に転用・改造強化されました。豊予要塞には計4門が配備されましたが、終戦までほとんど使用されることはありませんでした。平成28年5月、洞窟入口の掘削作業中にこの大砲の実物の一部(車輪など)が発見され、貴重な戦時資料として伊方町で保存が検討されています(現在非公開)。
2019年春、太平洋側の車旅で立ち寄る。レプリカとはいえ流石にこんな砲台ではどうにもならんやろということを感じさせてくれた。
豊予海峡を防衛するため、かつて設置されていた豊予要塞の一角にあたる砲台跡。この場所には旧日本陸軍の三八式12cm榴弾砲(レプリカ)が、コンクリート製の半地下式砲室(穹窖式)内に設置されており、当時の構造を肌で感じられます。砲室内部は現在でもしっかり形を保っており、弾薬搬入通路や砲架用レール跡のような構造も一部確認可能。この空間に立つと、「実際にここで砲が構えられていたのか」という実感が湧き、単なる展示以上の臨場感があります。灯台観光のついでに寄れる立地ながら、歴史的遺構としての価値は高く、現存状態も良好。配備は昭和初期〜終戦まで(佐田岬第2・第3砲台と推定)フォトスポットとしても魅力的(砲身越しの海が特に映える)歴史ファン・軍事遺構ファンなら、佐田岬灯台とセットで必訪の小規模戦跡。「観光地の中に隠れた実物遺構」という意味でも、かなり貴重なポイントです。
1920年、旧日本陸軍が設置した砲台跡です。観光用に坑道が整理、整備されています。海側への出口は、当時の遺構が残されておりまして、歴史、戦史が好きな方であれば、必見であります。現在は、安全のため、模擬砲台が展示されておりますが、その本物感が素晴らしいです。二次大戦後、この国は徹底的に戦争の跡、兵器の存在などを公衆にさらさないようにして参りましたが、実際に存在した歴史を隠し続けるのは逆に奇妙と思われます。この遺構もかつての戦いの歴史、本物を知ることができる貴重な遺構として、素晴らしく価値のあるものだと、勝手に評価致します。以上、ラッコ店長の自転車旅でした。
一部コンクリートは当時のままと思われ、今自分が眺めている景色が戦時下に任務に就かれていた方々と変わらぬものであると考えると複雑な気持ちになりました。
| 名前 |
旧豊予要塞 洞窟式砲台跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0894-38-2657 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
2026年2月21日 観光御籠島の砲台跡、階段を登りトンネルを少し歩くと到着します。大砲のレプリカが設置されており、当時の臨場感も味わえました。