栖本の太鼓響く、心癒す神社。
栖本諏訪神社の特徴
毎年11月第2日曜日に行われる秋の礼大祭が魅力です。
地元青年団による栖本の太鼓の音色が響き渡ります。
栖本城跡のふもとに位置する歴史ある神社です。
栖本諏訪神社は、九州道の松橋ICの南西67kmほど天草市栖本町湯船原の八代海沿いの集落に鎮座している神社です。旧社格は郷社です。山城である栖本城跡の麓に鎮座しています。正保2年(1645年)富岡の初代代官・鈴木重成が島原・天草一揆で荒廃した天草の復興のため創建した二社のうちのひとつです。寛永18年(1641 年)富岡城に赴任した鈴木重成は、天草の実情を見て年貢の半減を幕府に訴えます。しかし、その願いは聞き入れられず、重成は建白書を遺して江戸の自宅で切腹したといいます。幕府への嘆願は、後継ぎの鈴木重辰に引き継がれ、2代20年の歳月を要し、ついに年貢の半減が認められ、天草の人々に平穏な生活が戻ったと伝えられています。初代神官は越前国福井城主・森一伯(もりいっぱく)に仕えた儒学者の森硯哉(もりせきさい)です。二代より姓を「玉木」に改め現在に至ります。境内社として、生目神社(目の神様:昭和56年社殿再建)、鈴木神社(祭神:鈴木重成)があります。毎年11月第2日曜に開催される「例大祭神幸行列」では、勇壮で雅やかな郷土芸能として知られている、熊本県指定無形民俗文化財で全国青年大会民俗芸能部門で複数回最優秀賞を受賞している太鼓踊り、獅子舞いが奉納されます。300年余りの長い伝統を誇る太鼓踊りは3つの舞で構成され、お腹に響くほどの激しい太鼓と踊りは圧倒的で、見るものに元気を与えてくれます。神社のある「栖本(すもと)」という地名は、かつての長崎奉行が管轄する幕府領だった天草郡(あまくさぐん)栖本村に由来します。明治22年(1889年)湯舟原村、古江村が合併して栖本村が発足しました。明治34年(1901年)栖本村・河馬田村が合併し、改めて栖本村が発足しました。平成18年(2006年)栖本町・倉岳町・本渡市・牛深市・河浦町・有明町・御所浦町・新和町・五和町・天草町が合併して天草市が発足しました。諏訪神社(すわじんじゃ)は、全国に約25,000社あり、長野県の諏訪湖近くの諏訪大社を総本社とします。また、諏訪神社を中心とする神道の信仰を諏訪信仰といい、日本全国に広まっています。御祭神は「諏訪大明神」ともいわれる建御名方神(たけみなかたのかみ:出雲の大国主神の第二子)とその妃・八坂刀売神(やさかとめのかみ)で、諏訪大社より御祭神を勧請する際には薙鎌に神霊が移され、各神社ではこれを神体としています。また、中世には狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟、漁業を守護する神社としても崇拝を受け、「山神」としての性格を表しています。諏訪大社では6年に一度、御柱(おんばしら)と呼ばれる4本の柱を立てる「御柱祭」が行われますが、同様の祭が行われる諏訪神社が多くなっています。『諏訪』という名前は、諏訪明神が大荒神となって天下を悩ませている「蝦蟆(蛙)神」を退治して、四海が静謐となりました。このことから「波しずか」とも読める「陬波(すわ)」という名を得たといいます。
海を見下ろす小高い丘の上に鎮座する「栖本諏訪神社」を参詣して、まず驚かされた事は「地元の人たちに愛されている神社」を数々の奉納記念碑等々から実感したことです。境内に「鈴木神社」が祀られています。島原天草の乱で荒廃した天草は「天領(幕府直轄地)」となり、初代代官として「鈴木重成公」が着任しました。鈴木代官が自らの命を賭して迄行なった事は「年貢(税金)」を決定する「石高(年収)」を天草の実情に合わせて半減(4万2千石→2万1千石)する様に幕府に嘆願する事でした。鈴木親子2代にわたる嘆願が20年の歳月を要して漸く実り、天草の人々の生活に平穏が戻ったと伝えられています。
毎年11月の第2日曜日に秋の礼大祭が行われます、獅子舞や栖本の太鼓 など特に 栖本の太鼓の音は、地元の青年団のメンバーが躍りを舞いながらお腹に響きわたるくらい、綺麗な音色を響かせてくれます。
癒しの場所❤️
平成29年8月12日参拝祭神:建御名方神旧社格:不明 正保2(1645)年、富岡の初代代官鈴木三郎九郎重光が、天草全島の祈願所として栖本城跡のふもとに建立した神社。
| 名前 |
栖本諏訪神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0969-66-2055 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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集金したお金を納めに行った。