別子銅山で時を忘れた静けさ。
筏津坑の特徴
筏津坑内は4分間センサーでライトが点灯し坑道の様子を間近に観察できる場所です。
広い駐車場と清掃が行き届いたトイレがあり、別子山の静かな時間を感じられます。
その名も「銅山川」沿いに、1691年(元禄4年)に開坑し、1973年の休山までの283年もの間、約65万トンの銅を産出した別子銅山最後の坑口である『筏津坑』が一般公開されています。「貨物用蓄電車」や「積み込み用ローダー」、「削岩機」など閉山当時のものと思われる機械などの展示があります。坑道口から少し中まで入れて、坑道の様子を見ることも出来ます。センサーライトが内部を照らしてくれます。また、火薬庫跡入り口付近には「削岩機」の試運転で空いた穴が岩壁に無数にあります。無料施設ですが、立派な駐車場と新しめのトイレもあります。
2024.11.23 勤労感謝の日。たまたま通りかかって県道から川の向こうに駐車場が見え「筏津」なる標識があったので通り過ぎたのをUターンして訪問しました。旧住友別子銅山の遺構が見学できる施設でした。「筏津(いかだづ)」は地名でした。トイレ、駐車場は最近整備されたのでしょう、とてもきれいでした。見学施設もそれなりに見ることができて短時間で見ることができるので休憩等にはいい場所ですね。結構、お金をかけている施設ですが無料で利用できます。
銅山炭鉱の産業遺産が間近に見えます別子銅山巡りの休憩場所にも、いいですね自販機がありません広いパーキング🅿とトイレ🚻があり、管理者による清掃もしていただいているので綺麗でした筏津坑の炭坑内は、真っ暗かと思えば、4分間のセンサーが働きライトが点灯します周りには、炭坑で使用された動力機械が展示してます昔の人は、やっぱり偉人やわ。
今は静かで、一日いても変化を感じさせない時間の長い、時間の止まった風景を感じさせます。筏津などから索道で鉱石を日浦まで運び、更に東平まで出していた。また東平から日浦通洞間を社員や地域の人々が利用していた、かご電車も展示されていました。以前その電車を利用する人の写ったモノクロ写真を見た事が有りますが、ここで実物を見る事が出来ました。東赤石山へ行って来ました、山頂付近は風雨強く視界効かず何も見えませんでした。上り3時間半くらいでした。沢に渡された橋は危ない感じで、雨に濡れて更に危なくなっていました。降りれる所は降りた方が良いです。筏津山荘跡地は綺麗な駐車場になっています。昨年もここに停め大座礼山に行って来ましたが、駐車場の工事も終わり綺麗になっています。駐車場上の跡地は昨年より鬱蒼として来ている様に見えます。いつかは自然に帰るでしょうか。2023年4月29日曇りのち雨。
2024.4.14早朝に立ち寄る。先客の車が一台ありました。駐車場と並行して流れる川の音に癒される。時間が経過するにつれ、複数の車が来て賑やかになりました。皆さん、筏津登山口の駐車場として利用されているようでした。真新しい駐車場で、綺麗な水洗トイレもあり、とても快適でした。この地域の方が清掃されているのでしょうね。素敵な駐車場に感謝です‼︎
今回整備後に初めて訪れました。周りも含めてきれいに整備されていました。中は真っ暗だったけれど恐る恐る近づくと坑内に入る手前で通路に自動的に灯りが付きました(^o^)中は少ししか進めませんが、突き当りまで行くと、ここも自動的に灯りが付きます。なかなか良い演出だと思いました。追記令和5年12月25日まで落石工事のため通行止めのため進入出来ません。入り口の看板の画像を添付しておきます。
西赤石山登山口として改装中です。近々トイレも使えるようになる予定。
ここには、黄蓮華昌磨が咲いています。まだ蕾ですがこれくらいが綺麗だそうです。花が咲くと縁が茶色くなるみたいです。(*^^*)ゆらぎから少し車を走らせます駐車場に止めて少し歩くとトンネルを掘ったような場所があり中は凄くひんやりしていて気持ちがいいです。短いですが奥に行くと岩にライトが当たって綺麗です4分するとライトは消えると看板がありました。色々な道具が置いてありφ(..)勉強になりました。(*^_^*)
案内板の坑道の断面図を見ると深さが1000m、横幅が9キロ近くあるんですね。ここから、地下を通って現在のマイントピア別子(山を越えた反対側)まで行けたと書いてあるんですよ。ウィキペディアによると最深部が海抜マイナス1000mで日本で人間が到達した最深部とあり、坑道の全長はなんと700キロもあるそうですよ。巨大財閥となった住友の礎となった坑道になりますから感慨深いですよね。
名前 |
筏津坑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.city.niihama.lg.jp/soshiki/kankou/ikadadukou.html |
評価 |
3.7 |
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別子山の銅山の最後の遺構となるのだろう。新居浜市が見学コースを整備している。人力で鉱石をほっていた時代を感じることができる。ありがとう新居浜市。