見島の歴史、海戦の教訓。
ロシア兵漂流地の特徴
日本海海戦でのロシア兵漂流の歴史が残る場所です。
島民が連携してロシア兵を救護した感動のエピソードがあります。
訪れる前には知らなかった歴史に触れる貴重な体験ができます。
日本海海戦で撃沈した船の乗員がボートで漂着したものを救護した。
1905年にロシアバルチック艦隊と日本海軍の連合艦隊が戦った日本海海戦(対馬沖海戦)で敗れたロシア兵が見島に漂流したのを島民総出で保護したそうです。
| 名前 |
ロシア兵漂流地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.8 |
| 住所 |
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この島を調べて訪れるまでこの事実を知りませんでした。当時の島民の人道的配慮に敬意を表します。以下碑文:日露戦争中、日本海海戦で撃沈された特務艦カムチャッカの乗組員が海岸へボートにて上陸。当時の役場(役場は本村にあり電話もなく宇津から本村までの連絡は人に頼っていた)へはいった第一報は「旦様タータ大変でござりますロシアの海軍兵が来ました。詳しいことは知りませんが、一時も早うお知らせしたいから参りました」。次の報せは「ロシアが来ました、ボートーに五六十人乗って沙弥宙へ上がりました」。医師二名、助手一名(当時の島医師全員)を派遣し数護にあたり「時に現場は見物人の黒山を築き、二千有余人の勢揃へ上も詳すべても。村助役などが「ミルク、ミルク」と重湯をすすめたり、沢庵を「ニッポン、バター」と配ったりして、本を挙げて救護したようです。露兵漂着地の碑にちろせんそうちゅうこの碑の表には「露兵漂着地」、裏に「明治三十八年五月二十八日」と刻まれています。