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名前 |
西方堂跡・石仏群 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
西方堂は、幕末まであった阿弥陀堂群のひとつで、江戸中期以降には諏訪百番札所めぐりの一霊場とされていたそうです。しかし、明治維新前後の混乱激動のなかで失われたようです。1879(明治12)年に間口6間奥行き4件のお堂として再建立され、その後は近隣住民の集会や行事の場として親しまれていました。しかし、1958(昭和33)年に取り壊されたそうです。本尊の阿弥陀仏は頼岳寺に仮安置されたそうです。そして、近隣にあった石仏や石塔を集め、旧境内の東西の端に向かい合わせるように配列したということです。