沖縄戦の地獄絵図、命の尊さを知る場所。
南冥の塔の特徴
沖縄戦終焉の地、悲惨な歴史が感じられる場所です。
米軍の砲爆撃の跡、重苦しい雰囲気が漂っています。
歩くことで訪れる、考えさせられる追悼の場です。
沖縄戦終焉の地であるこの一帯には、米軍に追い詰められ逃げ場を失った多数の日本の軍人軍属、一般住民が米軍の連日連夜にわたる「すさまじい砲爆撃により傷つき、斃れていて、死屍累々といったその様はこの世の地獄絵図かと見まごうような悲惨な光景でした。この南冥の塔は、沖縄戦に参戦し、その惨状が念頭から離れなかったという日系二世の米兵ヤマモト タツオ氏が中心となり、昭和 二十九年 九月、この一帯に放置されていた身元不明の兵士、住民の遺骨 一万 二千柱を収骨して建立されました。現在、この塔の遺骨のほとんどは沖縄戦没者墓苑に移され、ここには一部が分骨されて祀られています。ここに追悼の意を表し、戦没者の御霊を慰めるとともに、安らかならんことを祈ります。内閣府沖縄総合事務局-案内板より-
上方崖部からの落石で立ち入り禁止になっています。不用意に立ち入るとたいへん危険です。
戦後9年間手付かずだったこの付近にあった遺骨12,000柱を集めて祀った場所だそうです。塔の左側に洞窟があります。『 沖縄戦終焉の地であるこの一帯には、米軍に追い詰められ逃げ場を失った多数の日本の軍人軍属、一般住民が米軍の連日連夜にわたるすさまじい砲爆撃により傷つき、斃れていて、死屍累々といったその様はこの世の地獄絵図かと見まごうような悲惨な光景でした。この南冥の塔は、沖縄戦に参戦し、その惨状が念頭から離れなかったという日系二世の米兵ヤマモト タツオ氏が中心となり、昭和二十九年九月、この一帯に放置されていた身元不明の兵士、住民の遺骨一万二千柱を収骨して建立されました。現在、この塔の遺骨のほとんどは沖縄戦没者墓苑に移され、ここには一部が分骨されて祀られています。ここに追悼の意を表し、戦没者の御霊を慰めるとともに、安らかならんことを祈ります。 内閣府沖縄総合事務局 』
ここに向かうには結構歩きます。上を見上げると大きな岩の断崖の下である事が分かります。摩文仁周辺は沖縄戦の終焉地で軍人、住民、学徒隊が追い詰められ逃げ場を失った所で、壕もなく岩陰や木の陰まで避難民でいっぱいでした。そこへ米軍の連日連夜にわたる苛烈な砲撃や爆撃が襲いかかり、多数の死傷者を出しております。沖縄戦に参戦し当時の地獄絵のような惨状が頭から離れなかったという日系二世の米兵ヤマモト・タツオ氏が昭和29年9月、摩文仁区民とともに身元不明の兵士や住民の遺骨1万2000柱を収骨して祀ったところとあります。
| 名前 |
南冥の塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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令和5年12月に落石があったとのことで、沖縄総合事務局により、現在も一部立入禁止になっておりますが、現場には見に行ってもらいたい。現地でしか感じられないこともあるので、ぜひとも遠くからでも手を合わせていただければと思います。