須佐之男命を祭る神社。
赤塚荒神社の特徴
赤塚荒神社は素戔鳴尊を祭神とし、深い神聖さを感じられます。
地荒神に相当し、地域の人々にとって重要な存在として知られています。
参拝することで、荒神巡りの独特の体験ができる神社です。
スサノオ系荒神社です。2020年10月。コロナで各神楽が中止になる中、こども神楽が催されました。といっても上は高校生ぐらい?演者の方々は素晴らしかったですが、コロナ自粛のせいか観ている人はほとんどいませんでした。周りは住宅地なのに、みんな関心ないのかなぁと思いました。でも年齢関係なくみんなが楽しんでいるようでした。本当に島根は美しいなと心から思いました。
赤塚荒神社素戔鳴尊出雲大社 荒神巡り令和元年5月7日 参拝。
須佐之男命を祭神とする神社で当地の地荒神に相当するようです。参道入口は西側の法海寺薬師堂の向いにあり、一の鳥居を潜ってまっすぐ東へ進むと平成12年奉納の構えの狛犬さんがおられました。さらに進むと南面した拝殿と本殿にたどり着きます。拝殿は赤瓦葺で注連縄が飾られ、続く本殿は銅葺切妻屋根、三本鰹木、外削千木で基礎部分は木製の垣根で囲まれていました。本殿の西側には同じ屋根装飾で南面した境内社が祀られていました。境内社の御碕神社は大己貴命・和田津見命・事代主命・少名比古那命が祀られており、弘長年間(1261~64年頃)に創建、もとは海岸部にあったものが明治41年に当地へ遷座されたようで、毎年5月1日に当神社へ奉納される神楽囃子が現在も行なわれているそうです。境内には赤塚神楽の碑も建てられていました。北側の隅に先代の狛犬さんも残されていました。こちらも構え型で現役さんと同じ様式のようです。
須佐之男命を祭神とする神社で当地の地荒神に相当するようです。参道入口は西側の法海寺薬師堂の向いにあり、一の鳥居を潜ってまっすぐ東へ進むと平成12年奉納の構えの狛犬さんがおられました。さらに進むと南面した拝殿と本殿にたどり着きます。拝殿は赤瓦葺で注連縄が飾られ、続く本殿は銅葺切妻屋根、三本鰹木、外削千木で基礎部分は木製の垣根で囲まれていました。本殿の西側には同じ屋根装飾で南面した境内社が祀られていました。境内社の御碕神社は大己貴命・和田津見命・事代主命・少名比古那命が祀られており、弘長年間(1261~64年頃)に創建、もとは海岸部にあったものが明治41年に当地へ遷座されたようで、毎年5月1日に当神社へ奉納される神楽囃子が現在も行なわれているそうです。境内には赤塚神楽の碑も建てられていました。北側の隅に先代の狛犬さんも残されていました。こちらも構え型で現役さんと同じ様式のようです。
赤塚荒神社素戔鳴尊。
| 名前 |
赤塚荒神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0853-53-1786 |
| HP | |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
|
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主祭神:須佐之男命例祭 :10月25日に近い日曜元禄八年(1695)創建(棟札による)言い伝えによると、元々は現在の境内地に祠を建て、産土神として崇拝していていました。当時注連主として祭祀を司っていた神官が夢告を受け、元禄八年に社殿を建立したとのことです。延享二年(1745)に社名を荒神社に改称しました。境内社の御碕神社は、弘長年間(1261-64)に赤塚の開発の際に創建されたと伝わります。明治6年に廃社となった後、明治12年に復旧。明治41年に赤塚荒神社境内に遷されました。名前のとおり、日御碕神社を勧請したものと考えられ、現在の祭神は日御碕大神とされています。しかし、明治28年の村役場の調査記事では、和田津見命、事代主命、大己貴命、少名比古那命の四柱が記載されていました。経緯は不明ですが、1400年代の出雲大社と日御碕神社との間の紛争により、祭神が入れ替えられていたと推測されます。