国譲りの舞台、屏風岩探索へ!
屏風岩の特徴
稲佐の浜から約200m、隠れた神秘の史跡です。
屏風岩は神話の国譲りの重要な舞台です。
民家の敷地内にある独特な岩の壁です。
稲佐の浜駐車場に有った周辺の主なる名所を印した看板で知り、直ぐ近くなので訪ねた、民家の建て込んだ狭い道の隙間のような土地に〃ソレ〃はどうにか立っていた、多分神代の時代は草原に在る目立った岩で日除け風よけになリ話し合いに向いていた場所だったので、どなたかがここに決めたのでしょうネ
出雲国を造られた大国主命と高天原からの使者として派遣された武甕槌神が、この岩陰で国譲りの話し合いをされました。現在は、崩れかけており近寄ることができません。
国譲り会談の舞台とされる岩壁です^ ^古代の海岸線を現在の県道29号とすると波打ち際から屏風岩まで30メートルくらいです。浜で話し合うと少し海上に弁天島が島として見えていたのでしょう!県道と並行に切り立つ岩壁全体が屏風の様だったんでしょー!物語が例え話しとしても作り上げて来たものを譲るという葛藤が先ずは"いなした"という何とも感慨深いですね^ ^
屏風岩は、国譲りの話し合いが行われた場所です。日本は、出雲の国の国譲りから発達した訳ですので、日本国の原点はここです。
屏風岩は、出雲国を造られた大国主命と高天原からの使者として派遣され、この岩陰で国譲りの話し合いをされました。戦うことなく笑顔で国譲りをされた大国主命の「和を尊し」とする心は、今もなお出雲の人々の心に受け継がれています。
民家の敷地内にあって驚く。当時の風景を想像したくなる歴史的な場所。
稲佐の浜から車で少し、国道から一本入ったところの民間の敷地内にあります。出雲国を造られた大国主命と高天原からの使者が、この岩陰で国譲りの話し合い。戦うことなく笑顔で国譲りを実現、"和を尊し"とする心。永い年月を経て傷みも進み、倒れる懸念もされており、大切に保護されることを祈念します。
稲佐の浜のバス停目の前に、大国主命の大看板があり、その裏手に回りこみ、看板を背に直進した住宅街の中にあります。確かに屏風のような形ではありますが、神話の時代の勇壮さを感じさせるサイズ、環境ではなく……予想外でした。ただ、ここで会談したのか〜と妄想するのは楽しい。この近辺には神在月に神様が会談を行う上乃社もあり、小さなお社も点在してるのでぜひお散歩を。
稲佐の浜より離れたところにある大昔はこのあたりまで浜だったのでは岩が倒れるかもしれない?進入禁止になっている。
名前 |
屏風岩 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0853-53-2112 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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稲佐の浜の海岸線からやく200mほどのところにあり、その昔はこの辺りまで海岸線があったのではないだろうか。日本書紀や古事記に出てくる、大国主大神と建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)の「国譲り神話」の舞台となった場所。この岩陰で争うことなく話し合い国を譲ったとのこと。