歴史を感じる長見神社。
長見神社の特徴
心を落ち着ける弁慶の故郷に位置する神社です。
一間四方の大社造が歴史の深さを感じさせます。
国道431号沿いにある小さな神社の看板が目印です。
弁慶の故郷にある神社。弁慶のお母様も眠っておられます。
一間四方の大社造。銅板葺。縁は四周を廻る。階隠柱は正面縁柱と共有し本殿桁が延びて支えている。階隠左右に随身座が付く。隅柱上部に派手な雲絵様の木鼻を付け柱上に出三斗を置き桁を支え、桁に併せ虹梁を渡し妻に二頭の龍と雲・波の彫刻を、かつ彩色をなす。建立は大正から昭和初期か。一ノ鳥居に「天保三壬辰九月中九日」(1832年)、灯篭に「明治四十四年四月」(1911年)、狛犬に「昭和四年十月」(1929年)、手水石に「昭和十六年」(1941年)と刻まれている。
本当に弁慶さんがおられたのかどうかは分かりませんが歴史を感じさせるお社です。
長海の長見神社から中海の眺め。
長見神社(ながみじんじゃ)【比定社】長見社【祭神】瓊瓊杵命、木花開屋姫命【住所】島根県松江市長海町59【備考】「杵田大明神」
国道431号沿いに小さな神社の看板があり、ふっと立ち寄ってみた。車は駐車場らしきところに停められるので問題無し。鳥居をくぐると石段があり少しのぼります。石で出来たの手水舎は朽ち果てて使い物になりません。代わりかどうかわかりませんが、水道が設置されています。小さな神社で賽銭箱がおいてあるだけです。拝殿の正面扉は閉じていて中を窺い知ることは出来ません。本殿の両脇に小さなお社がありますが、詳細は不明です。もちろん社務所もありません。
長見神社は式内社であり、風土記社でもある。但し江戸時代では「杵田神社」と書されていた。どうも読みは「きねた」ではなく「きた」神社であったらしい。神社由緒では「当社はじめは先田谷」に鎮座し「大神を杵田(きた)神社ともたてまつり申す」とあるという。「先田」は「さ・きた」であろう。現在も先田という小字は残っており、文政年間の村絵図をみると先田に「森社」がみえており、それが長海神社の江戸時代の姿であった。
国道431号沿いに小さな神社の看板があり、ふっと立ち寄ってみた。車は駐車場らしきところに停められるので問題無し。鳥居をくぐると石段があり少しのぼります。石で出来たの手水舎は朽ち果てて使い物になりません。代わりかどうかわかりませんが、水道が設置されています。小さな神社で賽銭箱がおいてあるだけです。拝殿の正面扉は閉じていて中を窺い知ることは出来ません。本殿の両脇に小さなお社がありますが、詳細は不明です。もちろん社務所もありません。
長見神社(ながみじんじゃ)【比定社】長見社【祭神】瓊瓊杵命、木花開屋姫命 【住所】島根県松江市長海町59【備考】「杵田大明神」
名前 |
長見神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0852-34-0752 |
住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=29572 |
評価 |
4.5 |
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なかなか周りたの景観もマッチし高見な場所で宜しいです、心も落ち着きます、