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名前 |
美濃徳野藩二代藩主 平岡頼資の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
慶長10年(1605年)、美濃徳野藩、初代藩主・平岡頼勝(小早川秀秋の家老、秀秋の死後浪人したが関ケ原戦の功績にての美濃徳野を知行)の長男として河内で出生。母は黒田如水(官兵衛)の姪。正室は小堀遠州の娘。慶長12年(1607年)の父の死去により、3歳で家督と美濃徳野藩2代藩主を継いだ。晩年に庶長子の新十郎と次男の頼重が家督争いを起こし、後継者を指名せずして承応2年(1653年)1月8日(異説として7月4日)に死去した。享年49。頼資の死後、平岡家は家督争いの他、頼重の不行跡などにより家督相続が認められず改易。ただし頼重が1000石を与えられ、子孫は2000石(最終的には6000石)の旗本として存続した。