長野駅のシンボル、如是姫様。
如是姫像の特徴
如是姫像は長野駅前、善光寺口のシンボルとして親しまれています。
阿弥陀如来様に感謝し、善光寺の方角を向いて微笑み続けています。
善光寺縁起に登場する天竺の姫が由来の像で、歴史を感じる場所です。
如是姫(NYOZEHIME)は、善光寺の御本尊である阿弥陀如来様に助けられたので、それに感謝して善光寺の方角を向き、如来様に香花を捧げている。出身は天竺(TENJIKU)。もともと善光寺境内の護摩堂前に信者の寄進で建てられて、善光寺御開帳を機に、長野駅舎が仏閣型に改築されたとき、長野駅前広場に移された。ところが、WWⅡで台座を残して供出されてしまったが、1948年7月、信者の方々の募金活動により再建された。駅前広場の整備中は善光寺におかれたのだそうです。
いつでも微笑みながら足元に水を湛え、昼も夜も長野駅前の善光寺口で旅人迎えています。【如是姫像の歴史】明治41年10月(1908年)信者の寄進で善光寺境内の護摩堂前に安置昭和11年4月(1936年)長野駅舎が仏閣型に改築された際、長野駅前に移設昭和19年2月(1944年)戦争による金属類の供出の為、台座を残して供出昭和23年7月(1948年)信者の募金活動により、現在の如是姫像が再建。
コンサート帰りに気付き、光の加減が綺麗でしたので、写真撮影しました。良い雰囲気を、醸し出しておりますね(*^ー゜)
一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)由来に関わる天竺の姫の像。悪病から救われて、感謝の意を込め善光寺如来に献花している姿らしい。脇の旧台座に解説がある。
如是姫像(にょぜひめぞう)の由来「善光寺縁起」によると、昔、天竺(てんじく)(インド)の毘舎離国(びしゃりこく)に月益(がっかい)という長者がおり、掌中の玉として大変可愛がっていた一人娘の如是姫が、あるとき流行した悪疫にかかりどんな治療をしても治らなかった。日頃欲深く、不信心でお釈迦様が仏の心を授けようと訪れても、会おうともしなかった長者だが、娘の命を助けてくれと涙ながらにお釈迦様におすがりした。お釈連様は西に向かい南無阿弥陀仏を唱えるよう諭(さと)され、長者は教えに従い一心に御名を唱えると、阿弥陀如来様と弟子の観世音菩薩様と勢至菩薩様が西の門の上に現れ光を放ち、その光が如是姫の枕元に届くと病気はすっかり治った。この像は、如是姫が病気の回復を感謝し善光寺如来に香花を捧げ礼置している姿である。長野市。
長野駅前のシンボル!
如是姫(にょぜひめ)と読むそうで、善光寺縁起によると仏教説話だ元ネタだそう。要約すると、昔天竺にいた長者の娘が流行り病となった。日頃欲深く仏の教えに耳をかさない長者だが、愛娘ご一向に快復せず、お釈迦様に縋りついた。お釈迦様は長者に南無阿弥陀とお祈りすべしと諭された。長者ごお祈りすると阿弥陀三尊が現れ奇跡のパワーで長者の娘は全快した。この像は娘の阿弥陀三尊への感謝の意を表している。こんな感じです。阿弥陀如来という概念自体お釈迦様の入滅後に生まれたものですので、この話の信憑性は言わずもがなです。ちなみに、この像は元々は善光寺境内にあったそうですが、駅舎完成後にこちらに移築されました。現在の像は二代目のようで、初代は戦時中物資として軍に供与されたそうです。
長野駅の善光寺口を出て、目の前のバスロータリーの1番乗り場後方に青銅製の如是姫像があります。美しい如是姫が重い悪病を患い、生死をさまようような状況だったものの、阿弥陀如来様のおかげで治癒したことに感謝し、善光寺の方向に花を捧げている如是姫の立像です。私は仏教等に詳しくないので、如是姫像の後方にある碑の説明書きや、あるいは善光寺事務局のホームページにある「善光寺縁起」など、ご覧になって下さい。申し訳ありません。台座に立ち、善光寺の方角に向かい花を捧げて微笑んでいるような、明るい表情をしたお姿の立像です。
名前 |
如是姫像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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わたしの知る限り長野駅は二度の改築、建て直しが行われましたが、彼女だけは変わっていません。