長野駅前の如是姫像、旅の癒し。
如是姫像の特徴
如是姫像は長野駅前、善光寺口のシンボルとして親しまれています。
阿弥陀如来様に感謝し、善光寺の方角を向いて微笑み続けています。
善光寺縁起に登場する天竺の姫が由来の像で、歴史を感じる場所です。
長野駅出てすぐバスロータリーにあります周りが石のベンチになってて待ち合わせやバス待ちにいいです名古屋の噴水広場のような感じでしょうか実際時々噴水が出ます。
長野駅善光寺口側の広場にある像。定期的に像の周辺で小さな噴水が上がるほか、夜はライトアップされています。像の後ろにはベンチもあり、待合場所になっていそうなシンボル的な存在です。
【善光寺如来に感謝を捧げる、天竺の姫の像】この像は、善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)にまつわる由来の中に登場する、天竺(現在のインド)の姫を表している。姫は悪病に苦しんでいたが、善光寺如来の加護によって救われたという。助けられた姫は、その感謝の気持ちを込めて、如来に花を捧げたとされており、その瞬間の姿を表した像がここにある。手に花を持ち、静かに祈る姿には、信仰の深さと命をつなぐ奇跡への感謝が込められているように感じられる。像のそばには、かつて使用されていた旧台座が残されており、そこにこの伝説の解説が刻まれている。立ち止まって読むことで、ただの仏像ではなく、救済と感謝の物語を知ることができる。信仰と歴史が静かに語りかけてくる像である。
わたしの知る限り長野駅は二度の改築、建て直しが行われましたが、彼女だけは変わっていません。
如是姫(NYOZEHIME)は、善光寺の御本尊である阿弥陀如来様に助けられたので、それに感謝して善光寺の方角を向き、如来様に香花を捧げている。出身は天竺(TENJIKU)。もともと善光寺境内の護摩堂前に信者の寄進で建てられて、善光寺御開帳を機に、長野駅舎が仏閣型に改築されたとき、長野駅前広場に移された。ところが、WWⅡで台座を残して供出されてしまったが、1948年7月、信者の方々の募金活動により再建された。駅前広場の整備中は善光寺におかれたのだそうです。
いつでも微笑みながら足元に水を湛え、昼も夜も長野駅前の善光寺口で旅人迎えています。【如是姫像の歴史】明治41年10月(1908年)信者の寄進で善光寺境内の護摩堂前に安置昭和11年4月(1936年)長野駅舎が仏閣型に改築された際、長野駅前に移設昭和19年2月(1944年)戦争による金属類の供出の為、台座を残して供出昭和23年7月(1948年)信者の募金活動により、現在の如是姫像が再建。
コンサート帰りに気付き、光の加減が綺麗でしたので、写真撮影しました。良い雰囲気を、醸し出しておりますね(*^ー゜)
一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)由来に関わる天竺の姫の像。悪病から救われて、感謝の意を込め善光寺如来に献花している姿らしい。脇の旧台座に解説がある。
如是姫像(にょぜひめぞう)の由来「善光寺縁起」によると、昔、天竺(てんじく)(インド)の毘舎離国(びしゃりこく)に月益(がっかい)という長者がおり、掌中の玉として大変可愛がっていた一人娘の如是姫が、あるとき流行した悪疫にかかりどんな治療をしても治らなかった。日頃欲深く、不信心でお釈迦様が仏の心を授けようと訪れても、会おうともしなかった長者だが、娘の命を助けてくれと涙ながらにお釈迦様におすがりした。お釈連様は西に向かい南無阿弥陀仏を唱えるよう諭(さと)され、長者は教えに従い一心に御名を唱えると、阿弥陀如来様と弟子の観世音菩薩様と勢至菩薩様が西の門の上に現れ光を放ち、その光が如是姫の枕元に届くと病気はすっかり治った。この像は、如是姫が病気の回復を感謝し善光寺如来に香花を捧げ礼置している姿である。長野市。
| 名前 |
如是姫像 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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長野駅善光寺口を出てすぐのところにある像です。こちらの像は名探偵コナン『隻眼の残像』で毛利小五郎と長野県警の大和敢助と上原由衣さんが出会うシーンで出てきました。近くにはホテルメトロポリタン長野やドンキホーテがあり、ここも少しですが描写されていました。おそらく冬の時期限定でライトアップされています。長野駅の顔ってイメージがあります。