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建物に関しまして、大正時代後期 この地のすぐ南側に東沖の山山炭鉱出入口がありました。また西側には尼崎汽船の船舶を停泊させる港でした。そしてこの付近に、現在の倉庫より大きな蒸気問屋が存在しました。もしかすると、その問屋の建物の一部が残っているのでしょうか?外壁下部や周囲の塀は、宇部特有の桃色煉瓦で造られています。昭和に入り北西側を一部住宅地として切り売りし、残った建物を石炭や練炭用の倉庫として、活用されていました。現在の他の倉庫は、壁を波板に修繕され、一般倉庫として利用されています。この木造の建物がどういう機能をしていたか調査後に、補修保存お願いします。炭鉱と汽船の港と蒸気問屋の関係やこの周辺の大正から昭和初期の港湾事情の記録になります。