550年前の歴史、瓶割城で体感!
長光寺城跡の特徴
長光寺城跡は別名瓶割城として親しまれています。
曲輪や堀切、石垣などの遺構が残されていて見応えあります。
日吉神社からの登山ルートがあり、歴史を感じる景観が楽しめます。
柴田勝家に瓶割り柴田の異名が付いた城跡です。他にも異名を持っている武将なのでリーダーシップもあり、戦上手だったのでしょう。瓶を割って背水の陣を引き自軍を奮い立たせた城だと思うと感慨深いです。遺構もよく残っており、見応えがありました。
複数のルートから登れますが、日吉神社から登りました。20〜30分で登れました。それなりに整備されています。石垣や古井戸などの遺構が残ってます。
曲輪、堀切、竪堀、石垣などの遺構が残っています。登城路も整備されています。
近江八幡駅付近の山城。柴田勝家のエピソードで有名です。登山口はいくつかありますが閉鎖されている箇所もありますので要注意。日吉神社から約20分で頂上まで行けます。色々な方が歴史遺産として活動されているお陰だと思いますが、舗装されていないのに歩きやすかったです。ありがとうございます。
柴田勝家が出陣前に水を貯めた瓶を割って兵を鼓舞したエピソードで有名な場所です。JR近江八幡駅から歩いて40分くらいで麓に着きますが、これのルート検索だと南側からしか行けないみたいな感じですが、北側にある稲荷神社と不二の滝から行けます。頂上まではそんなにしんどくなく行けました。けど、一の廓は草が生い茂っていて腰を降ろすベンチもなく、景色もよく見えないので飯が食べられなかったです(>_<)あと、とにかくクモの巣が多かったです。通り道に巣がはってて、木の枝で巣を潰しながら行きましたけど、100は余裕で潰しましたよ(エンカウント率高すぎ(^^;)せっかくの柴田勝家ゆかりの場所やのにもったいない、勝家が大河ドラマになる前に地元の人がちゃんと整備して、ここをもっと宣伝したら歴史ファンがもっと来ると思うんで頑張ってほしいです。
お城の概要長光寺城は標高234mの瓶割山の山頂付近に築かれ、北側眼下をはしる中山道が八風街道と交わる武佐までは直線距離にして約1km。東近江における要衝の地にある。登り口は妙経寺横の不二滝、若しくは長福寺町の公民館前にある。どちらも山頂までは約25分程度。道はハイキングコースとなっており、案内板が立てられ判りやすくなっている。不二滝から登ると主曲輪西側の堀切に出る。堀切横の石垣は、高さ6mを越え城内最大のものである。長光寺城は15世紀中期に佐々木四郎政堯によって築かれたのを創築とし、その後は六角氏が入り、元亀年間には織田信長の家臣・柴田勝家が入っているが、この石垣は斜度をもたせて積んでいることから、後年の柴田勝家時代のものではないかと思われる。
歴史を感じます❗
550年前に思いを馳せて。瓶割山の由来をさがしてください。220mの低い山城です。琵琶湖も綺麗に見渡せます!
柴田勝家公が家来の奮起を立たせるべく水瓶をすべて飲みきって叩き割った。そんな伝説の残る城跡です。
名前 |
長光寺城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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ちょうこうじ城、別名、瓶割城。応仁の乱の1468年佐々木四郎政尭(まさたか)築城。守護佐々木高頼の観音寺城に対抗する城としての役割。瓶割は戦国期、柴田勝家が水瓶を打割って城兵を奮い立たせたからとのこと。(以上現地説明板より)日吉神社へ向かう鳴谷会館の向かいに説明板と登り口あります。城跡は一の郭、二の郭、三の郭からなり、登り口からは林道に出てさらに山道、赤テープの目印を登ると一の郭(主郭)と三の郭の間の尾根に出て、一の郭の西側に大石垣、堀切土橋、三の郭の南側に石垣虎口、堀切、さらに進むと眺めの良い曲輪群です。登り口から一の郭まで約20分でした。