織田信孝の菩提寺、歴史を感じる。
清浄山 福蔵寺の特徴
織田信長の三男、信孝の供養塔があるお寺です。
美しい藤の花や枝ぶりの良い桜に囲まれた静かな環境です。
家康が食べたと言われる柿の木が今も残っています。
織田信長の三男信孝の菩提寺と知ってこの地の歴史の深さを一層感じる事ができました。
平家の血筋関盛信の御墓があると近くの瑞光寺に伺いましたが検索すると近くの福蔵寺に織田信長の三男織田信孝の供養塔があると、織田氏は平資盛の子孫でなく藤原氏?とか関宿場街から右に狭い道を曲がると山門が見えます、山門を潜り左手に新し目の供養五輪塔があり説明板が前に立ってます。切腹したのは野間のお寺?此処では首級を供養したとか、境内には仇討で有名な関の小万の碑も有りましたが住職は多忙で織田信孝のそれまでの墓石等は分からないと関西弁で捲し立てられました?
ごじんまりしたお寺でしたが藤の花が丁度、見頃でした。食べ歩きした後にお寺に寄ってみました。
悲運の武将 織田信孝の菩提寺2022年11月上旬に初めて参拝しました。もともも織田信長の三男・信孝が本能寺の変で亡くなった信長の菩提を弔うために、旧家臣の大塚長政に命じて建立に着手。しかし、信孝は羽柴秀吉との後継争いに敗れ、1583年に知多半島の野間大坊で自害。その後、大塚長政は信孝の首を持ち帰り、首塚を設けて信孝の菩提寺として開創。現在は、新しい供養塔が建立されています。また、江戸時代に娘が父の敵討をした関の小万のお墓も安置されています。
静かで良いところでした。…が、当山は朱印をしておりません、とのことでした。
一本の桜が枝ぶり良くとても綺麗でした。織田信孝卿の墓所と知りとても感動しました。
藤の棚田がとても綺麗なお寺。
織田信長の三男織田信孝のお墓有ります。切腹の時に怒りながら行い。その時の血の跡が襖に今でも残っているそうです。本殿は非公開だそうです。
家康も食べたと言われる柿の木が今でも残っています。歴史が深く心が静まるお寺です。
| 名前 |
清浄山 福蔵寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0595-96-0504 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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福蔵寺 (関宿)織田信孝(信長三男) が信長の菩提寺として建立をすすめていたが、その翌年に信孝が自害に追い込まれ、信孝の菩提寺になりました。1583年創建。『昔より 主(しゅう)を内海(うつみ)の野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前』という辞世の句が伝わっています。尾張国 野間の内海で源義朝を騙し討ちにして平清盛に首を献じた逆臣 長田忠致の故事にかけたものです。信孝も野間の内海大御堂寺(知多半島)で秀吉により自害に追い込まれました。信孝の首は、家臣の大塚長政が (伊賀)神戸に持ち帰ろうとしたが 戦乱で果たせず、この地に葬ったと伝わります。旧東海道から 福蔵寺の参道が延びています。旧東海道を日本橋から歩き始めて27日目。