伊勢へ通じる古の道標。
比自岐神社の特徴
鬱蒼とした杜に囲まれた神社の歴史が魅力です。
比自岐神社の境内は広く、落ち着いて散策できます。
いつも綺麗な境内で、穏やかな雰囲気を楽しめます。
比自岐神社(ひじきじんじゃ)。三重県伊賀市比自岐。式内社(小)、旧県社。主祭神:比自岐神配祀:天兒屋根命 天照大神合祀:劔根命 應神天皇 建速須佐之男命 火産靈神 大物主神 宇迦之御魂命木花佐久夜比賣命 大山祇神 伊邪那岐命 大綿津見神 菅原道眞【関係氏族】伊賀比自支和気氏資料によると、創祀年代は不明。式内社・比自岐神社に比定されている古社。垂仁天皇の庶子である圓目王(つぶらめのみこ)の妻、伊賀比自岐和気氏の祖を祀る神社。比自岐氏は、昔、当地を支配していた氏族らしい。別称は、天王宮、あるいは大森神社という。当地は、比自岐森邑と言っていたらしく、往時は相当な森であったのだろう。この地は伊賀比自支和気氏の本貫する地域であつた。天皇崩御の残所に伊賀比自支和気氏の子孫が、刀を負ひ戈を持つネギ(禰宜)と酒食を持ち刀を負うヨヒ(伊賀比自支和気氏の子孫)として、代々奉仕してきた。ネギ等は殯宮内に入つて呪言を唱えるが、その内容はたやすく人に知らしめない秘事であつたという。延喜以降中世末に至るまでの当社と当社に関係する史料は、全く失われて不明である。伊賀比自支和気(いがのひじきわけ)氏は、日本の古代に存在した氏族であり、伊賀の比自岐神(ひじきがみ)を祖神とする説がある一族です。また、祭神である比自岐神は、天皇の殯宮(あらきのみや、もがりのみや)で重要な役割を担ったとされており、この氏族が古代の伊賀地方で勢力を持っていたことを示唆しています。天正九年(1581)、伊賀の乱によって社殿ことごとくを焼失。慶長九年(1604)に再建された。明治四十一年、境内社・剣神社や村内の神社を合祀。大正二年県社に列した。とあります。
県道683で、伊賀上津駅まで歩く途中にお詣りさせてもらいました。ゆったりした時間がながれていて 心が洗われる思いがしました。
こじんまりとした神社ですが地域にしっとりと溶け込んでます神社前の石の道標に『伊勢へ』通じる刻印がお伊勢さんに想いを寄せる古の人達を感じました。
☆10月12日に行きました。【御祭神】比自岐神【配祀 】天兒屋根命(あめのこやねのみこと)、 天照大神(あまてらすおおみかみ)【合祀】劔根命(つるぎねのみこと)、 應神天皇(おうじんてんのう)、 建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと) 、火産靈神(かぐつちのかみ) 、大物主神 (おおものぬしのみこと)、宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)、 木花佐久夜比賣命 (このはなさくやひめ)、大山祇神(おおやまつみのかみ)、 伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)、大綿津見神(わたつみのかみ)、 菅原道眞(すがわらみちざね)。☆天正九年(1581)、伊賀の乱によって社殿ことごとくを焼失。慶長九年(1604)に再建されました。明治四十一年に境内社・剣神社や村内の神社を合祀しました。大正二年県社に列したそうです。主神の比自岐神は豪族比自 岐和気の祖神だそうです。比自岐神社の祇園踊りは県の無形民族文化財になっています。写真は順番にしましたが、バラバラになっています🙏。境内は誰もいなくて持ち帰り用の御朱印も置いていません。色んな物を参考に書きました。
昔は鬱蒼とした杜に囲まれた神社でしたが、火災にあいやっと現在の姿に戻りました。
比自岐神社ひじきじんじゃ三重県伊賀市比自岐683祭神比自岐神円目王(つぶらめのみこ)もしくは近い人物で「遊部」に属し皇室の葬儀に奉仕した今冬初めて霜を見る。
仕事中、トイレで利用します。
式内社とのこと。
比自岐神社 踊り。
| 名前 |
比自岐神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=2993 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
境内に環境省巨樹巨木林DB登録の巨樹がある。幹周り:4.50m、樹高:22m、No.41372、ケヤキ幹周り:4.15m、樹高:30m、No.41373、スギ幹周り:4.00m、樹高:30m、No.41374、スギ幹周り:3.80m、樹高:30m、No.41375、スギ社殿の裏側、玉垣の向こうに大杉が聳える。鳥居の左側は一段高くなっており大きな切り株があった。これがNo.41372のケヤキだろうか。