早良区の櫛田神社で祝福を。
荒江櫛田神社の特徴
山笠鉾が飾ってあり、博多の総鎮守の神社です。
早良区野芥櫛田神社の分霊が祀られています。
小さな神社ながら、清掃が行き届いた綺麗な環境です。
綺麗な神社でした。会社から近い氏神様でしたので今後定期的にお参りしたいと思います。大楠がとても立派でした。子孫繁栄を願います。
山笠鉾が飾ってある。狭い中に22社がある。長生きの神らしい。
近くを通ってなんとなく参拝。新年とかでなければとても静かです。小さい頃はイベントで来たこともあったな。年末年始は焚き火をしていました。櫛田神社分社だから年末年始の櫛田神社のあの人だかりを避けてお櫛田さんにお参りできるのは良いですね。小さい神社ながら御神木あって神社アイテムは揃っているのかも。また近くに寄ったら立ち寄ろうと思いつつ後にしたのでありました。
福岡市には3つ櫛田神社があります。全国には7社あります。こちらは野芥櫛田神社が元宮で分祀されたのだそうです。御祀神は野芥の櫛田さんと同じ天照大神(アマテラスオオミカミ)大若子命(オオワクゴノミコト)天児屋根命(アメノコヤネノミコト)こちらは天照大御神を主祀神とされているようです。野芥のほうでは大若子命が主祀神です。明治天皇が天照大御神を最高神としたので変えたのでしょう。境内にはその他「五穀神」「幸神社」が併祀されています。幸神社は近隣地区に古くからあったものを併祀したとありましたが、五穀神は由緒的な説明がありませんでした。祀られている神様の説明を…◯天照大御神日本人であれば知らない人はいないくらいメジャーな神様。八百万の神の中でも最も尊い神様です。黄泉の国から戻ったイザナギが禊を行い、住吉三神とスサノオ、ツクヨミ、そして最後にアマテラスが生まれます。その場所は古事記に「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」と残されており、福岡市は九州王朝説を支持しており小戸公園の入江ではないかとしています。◯大若子命大若子命は別名を瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と言います。天照大神の孫です。父は天忍穂耳尊で愛宕神社に祀られています。古事記に残る天孫降臨で「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気」に降り立つ神です。昭和薬科大学教授だった古代史家の故古田武彦氏はその地を日向峠近くの高知山であるとしています。◯天児屋根命中臣氏の祖であり後に春日神、春日権化と呼ばれます。天岩戸伝承では岩戸の前で祝詞を奏上した神です。境内社の幸神社について。瓊瓊杵尊が天孫降臨した際に道案内をした神が猿田彦である事をご存知な方は多いかと思います。そうしたことから猿田彦は道を開く、道を守る神として道の分岐点に置かれる道祖神として崇められていただけではなく、疫病や悪霊の侵入を塞ぐ「塞(さえ)の神」と同一視されました。また、猿田彦は天孫降臨のときに天宇受鈿(アメノウズメ)と知り合って結婚して子宝にも恵まれたことから幸((塞)さい)の神として猿田彦と天宇受鈿が幸神社(サイノカミノヤシロ)に一緒に祀られて全国各地に拡がったのだそうです。なるほど、幸神社の奉納物の謎がひとつ解けました。猿田彦の別名は、月読命(ツクヨムノミコト)、邇芸速日命(ニギハヤヒノミコト)、大山祇(オオヤマヅミノミコト)、豊玉彦(トヨタマヒコ)、建角身命(タケツヌミノミコト)八咫烏(ヤタノカラス)と多数の名前を持った人物で大若子命(瓊瓊杵尊)の子供ということになっています。多数の名前があるのは色んな書物や家系図によってそれぞれ名前が異なっており、また推測される時代も100年ほどズレていたりしますが、猿田彦一族の誰か、もしくは複数人、はたまた歴代猿田彦がいたのでしょう。猿田彦こと八咫烏は京都の下鴨神社に建角身命として祀られているのは有名ですよね。八咫烏は賀茂族の一員であり一族の祖神とされています。瓊瓊杵尊の天孫降臨のときに天照大神より三種の神器と斎庭の稲穂を授かり、猿田彦はその稲穂を育てるための水田を造りました。猿田彦は最初に那珂川の市ノ瀬日吉神社に祀られており、最澄により比叡山の守り神として比叡山の日枝神社に勧請されています。また、地下鉄賀茂駅近くには平安時代以前から別雷命が賀茂神社に祀られていますが、別雷命が祀られているのは上賀茂神社です。神武東征で道案内したのが建角身命。別雷命は母親が同姓同名であり父親も違う別人です。後に調べてわかってきたことですが、神武天皇の道案内したのは初代八咫烏(建角身命)で、二代目八咫烏は事代主、三代目が別雷命のようです。初代八咫烏が主祀神として祀られた小烏神社は現在の福岡城跡地にあったそうですが、福岡城建築時に警固に移され、更に後に再び薬院に移されていて現在に至っているそうです。脊振山麓一帯~早良平野、糸島は賀茂一族の出身地であり支配地だったはずです。つづいて五穀神。五穀神とは山の神。山の神とは大黒様。七福神の大黒様は大国主のことです。七福神は単一宗教ではなく神道、仏教、道教など、インド、中国から入ってきた宗教が融合した民間信仰が造化したものです。大国主命(オオクナヌシノミコト)の別名は大己貴命(オオナムチノミコト)の事であり、大己貴命はこちらの主祀神の大若子命の兄弟なんです。大国主命は天照大神に国を譲り、引き換えに出雲と奈良盆地の二手に別れて栄え、飛鳥時代に仏教を拒んだ物部氏の祖神なのですが、皆さんご存知のように後に蘇我氏との争いで没落してしまいます。日本の神様は伊勢神宮を主体とする海津神派と出雲大社を主体とする国津派があります。大きく2派に分かれていたのを道徳的教育となる主体を決めるにあたり明治天皇が天照大御神を最高神とし、真ん中に祀る形式を推奨しました。国津派の神社は神社庁の公認が受けれず宗教法人化して生き残ります。そして大国主は国津派の主な神様なんです。そうした流れの中で五穀神の由来が薄れていったものなのか、そもそも主祀神の大若子命が農業の神なので同一視されたのか…太古の昔、弥生時代には今より水位が10メートルくらい高かったという話しですから、荒江の地は海に面した入江になっていたのでしょう。野芥櫛田神社のクチコミに書きましたが、太古の時代は砂鉄の材料となる真砂土を脊振山麓から運び、砂鉄から製鉄する際に出る鉄滓を土質改良材として撒いていたという仮説を裏付けるかのように、出入荷口となる入江に位置する荒江に櫛田神社が分祀されたのではないかと思っています。そうしたいろんな想いを馳せながら幸神社の生々しい奉納物に衝撃を受けつつ高らかに柏手を打つ自分に笑えました。昨今問題となっている少子化への対策の一環としてお参りするのも良かろうかと思われます。幸神社の画像は個人的なコンプライアンス上の問題で掲載しませんでしたが、スマホにはしっかり保管しております。境内に貼られていた氏子会の方々が書かれた資料の、神崎の櫛田宮さんに祀られている神様が現在のものと違うようのが気になります。
近くを通ってなんとなく参拝。新年とかでなければとても静かです。小さい頃はイベントで来たこともあったな。年末年始は焚き火をしていました。櫛田神社分社だから年末年始の櫛田神社のあの人だかりを避けてお櫛田さんにお参りできるのは良いですね。小さい神社ながら御神木あって神社アイテムは揃っているのかも。また近くに寄ったら立ち寄ろうと思いつつ後にしたのでありました。
早良区野芥櫛田神社の分霊を迎えて祭祀された模様。夏と秋にお獅子廻しが行われ、子供達が獅子頭を先頭に無病息災とお家繁盛を願い町内を練り歩きます。
博多の総鎮守。立派な飾り山笠が展示されてます。
仕事の途中で見つけた神社✨小さな神社でしたが綺麗に清掃されてました。駐車場がないので路駐になります。大きな木が特徴的な神社でした。
野芥の櫛田神社から分祀された神社です。櫛田神社は、元寇の際に神威があったような伝承が神埼の櫛田宮にあったので、この神社も関係があるのかもしれません。博多湾沿いに櫛田神社が点在するのが気になりますます。
| 名前 |
荒江櫛田神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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初詣に行きました夕方割と、たくさんの人で賑わっていました1000円以上のお布施で、御神酒と紅白餅をいただきましたおみくじを引いて持って帰りました。