春の桜と黒野城跡、懐かしの足跡。
黒野城跡公園の特徴
黒野城跡公園では、鶏が放し飼いになっている光景が楽しめる場所です。
加藤家の城跡があり、本丸跡を囲む土塁と堀が保存されています。
毎年春には桜が美しく、地元の人々と研究会が活発に活動しています。
スタンプラリー目的で。お散歩にはよいですね。子供が小さい頃にイルミネーションみに、行ったことあるな~。
およそ400年前の1594年〜1610年の16年間しか使用されずに廃城になった城です。幅約15mの水堀と高さ5m傾斜45度の土塁に囲まれた中に本丸跡があり、現在は少年野球が出来るグランドになっていました。本丸土塁上の北西と南東隅には櫓があったようで説明板が立てられいました。土塁上を一周する事が出来ます。遺構は、本丸跡・南東櫓跡・北西櫓跡・桝形虎口・土塁・内堀・外堀が残っています。400年以上過ぎても良好な状態で保たれているのは凄い事だと思いました。
鶏が放し飼いになっているのが見られる。男子トイレは通行人に見えやすいし、女子トイレは一つしかない。
まだ、桜は早かった。城跡を一周回ることが出来き百々ケ峰等山々が見えます。桜は一週間後に見頃かな?トイレはあります。
戦国時代後半、加藤家の城跡ですが 、通常石垣だと思ったら見る限り土塀に見える。でも堀り跡が完全な形で残っているのは見事です。江戸時代城が無かったのに破壊されず残っているのは不思議ですが遺跡マニアにとっては大変有難いです。
住宅街に本丸跡を囲むよう土塁が見えてくる、本丸跡のひらけた場所には、今はシニアの皆さんがゲートボールを楽しみます。土塁を登り眼下にお堀跡をぐるりする、二の丸は少し離れた場所にあった様な事を案内板が教えてくれた。土塁に桜の木が並んでいるから、春には花見が出来るのかな、トイレは整備されているが、駐車場はなく、入口にあたる通路に縦列駐車してるのは、ゲートボールの遊技中の皆さん。土塁は距離はないがホントに立派です、それ以外で此処に城があった事を考える史跡はありません。
今は公園化されていますが、立派な、立派な土塁と堀です。石垣がない中世の城跡で、こんなにしっかり残っているところは、あまりないのではないでしょうか。桜の木があるとよく見えないため、冬場に行ったのは正解でした。城跡には、籠城戦に備えてのリアルな植物を植えて欲しいものです。ただ、城跡としては感動ものです。
住宅に囲まれた所に黒野城跡公園があります。城壁の土手の上に桜並木があってとても綺麗でした。
石垣と堀くらいしか残っていないですが、静かでいろいろ想像しながら昔に思いを馳せていました。
| 名前 |
黒野城跡公園 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
058-214-2182 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
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若くして黒野藩主となった加藤貞泰公、父光貞から受け継ぎ、関ヶ原では東軍の立場で参戦、その後、鳥取の米子藩主、愛媛の大洲藩主と国替。その行く先でニホンたんぽぽの花が咲き誇るという持ち込み説ですが、ロマンを感じます。今の時代よりも物がない時代だからこそ、花を見ることや、花に思いを寄せることなどがあったと考えるとうなづける話だなと。南側の土塁に黒野城と白字でありますが、何やらこの南側の土塁の一部は昭和時代に造成されたらしいです。南西、北東の隅櫓は張り出していたらしく、今のようにはなっていなかったとのこと。南西には枡形虎口、周囲をたたき土塁、白壁で囲まれており、天守閣はなく、かわりに北東の隅櫓がそれに。二重、三重とも言われているようですが、それを裏付ける物がまだ発掘されていないとのこと。城郭は三重の堀と土塁、南西1000m、南北800m、周囲に町屋敷、神社などを配置。町を散策すると、安土桃山時代から江戸時代初期までの16年という短い期間でしたが、このように現代までよい状態で現存されているのは、こちらの町の保存会の方々や町の人々の管理があるからだと思います。ポイ捨て禁止。呼びかける看板や、町のあちこちに記されている城関係の表示など、町ぐるみで黒野城🏯を守っていくぞという思いが伝わってきました。名古屋からバイクで90分でしたが、見事のある城跡でした。