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名前 |
種田山頭火句碑(伊那橋) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
1882(明治15)年、山口県に生まれた山頭火は、「尾崎放哉」とともに「荻原井泉水」門下の自由律俳句を代表する俳人だ。ともに酒癖で生活を持ち崩した二人でもあったが、「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」と晩年に記している山頭火は、1939(昭和14)年5月3日、傾倒する酒と漂泊の俳人「井上井月」の墓参目的に伊那を訪れ、「お墓撫でさすりつゝ、はるばるまゐりました」「お墓したしくお酒をそゝぐ」「供へるものとては、野の木瓜の二枝三枝」などの句を墓前に詠んでいる。同年、愛媛県松山市に居を移したが、1940(昭和15)年10月11日に同地で脳溢血のため没した。享年58だったという。ここ国道153号線(旧道)「伊那橋」に句碑「あの水この水の天龍となる水音 山頭火」(あのみずこのみずのてんりゅうとなるみずおと)が、井月の句碑に対面して、2000(平成12)年7月に建立された。